祖母の家の匂いが私の匂いになっていくための日々

祖母が体調を崩したため、しばらく一緒に住むことになって数日が経つ。

祖母の家に一緒に住んでいた叔父がだいぶ前に家を出たきりそのままにしてあった部屋をとりあえず片付けて、そこで借り暮らしをしている。

親元を離れて生活をするなんて初めてで(合宿免許はカウントからのぞく)、更に介護の常識のないまま祖母の生活管理もすることになり、毎日寝ても寝足りないほど疲れている。 自分の力不足に嫌気もさす。
とはいえいろんな思いが巡ってくれて、しんどさと同じくらい良い気分もする。

私はずっと、祖母が得意ではなかった。

親がまだ離婚していなかった時、年末年始は少しだけ離れて暮らす祖母の家で過ごすのが恒例だった。

どこか遠出をするたびに大きな喧嘩をする両親は、祖母の家に来ても喧嘩ばかりしているし、祖母もそこに応戦したりしていた。
すぐにカッとなり、しつけがなってない!とずっと子どもたちを叱っていた。
祖母は外国籍の母が当時は大嫌いだったし、母が子どものことを言われるのが一番傷つくことをわかっていたから、祖母はずるい人間だなあ…と子どもながら思っていた。

こんな感じで、年末年始に祖母に会うことは私にとってちょっとしんどいことだったし、祖母に苦手意識を持っていたのだ。

けれど両親が離婚して行かなくなってから年末年始に思い出す、祖母の家に行った時の些細な思い出は全部愛おしい。

夜の電車にコンビニの肉まんを携えて乗り込んだ時の湯気と
冬の気温の混じったような匂い、
うちより広いお風呂と家で絶対使わないメリットのシャンプー、
夜中に鳴り響くバイクの遠吠え、
おもちゃ屋が二つある商店街、
駅前のマクドナルドの陽がよくあたる席、
雑煮に浮く野菜の青々とした味、

祖母の家に行くことは、小さい頃の私にとっては少しだけファンタジーに行くことだったのかもしれないと思わせる。

祖母は強い人間だ。女手ひとつで子ども3人を育て、誰にも頼ることなく勝気で居続け、家を守り続けた。
けれどその強気は、大事なものを守るためのハッタリだったのかもしれないと、大人になって強がるようになってから感じるようになった。
その強さが人を寄せつけなくなって、孤独に老いていったその寂しさを今考えると、今まで彼女の苦悩に寄り添えなかった自分が憎くなる。

祖母が今、弱さを認めて、小さな体を丸めて、今日は何曜日?と何度も確認しながら、ベッドでドッキリ番組を見ている。
老いる前と後、どっちがほんとうの祖母かわからないけれど、
今は目の前にあるありのままの弱さを、彼女だけが過ごす時間ごと、すこしずつ愛していきたい。

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