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ちゃんとお父さんが欲しかった

みんなが軽々と越えていく壁を私はいつまでも越えられない 。

父の誕生日当日を迎え、今年こそは普通に祝おう、おめでとうってライン送ろう、と心に誓っていたのに、日付が変わってもとうとう送れなかった。

家族の中で誰よりもお父さんが好きだったと思う。
毎晩必ず父の隣で、仕事に行って欲しくないからとしっかり手を繋いで寝ていた。
お父さんが喜ぶから肩揉みが上手くなったし、毎晩手から離さぬビール缶に嫉妬すらした。

嘘と裏切りと離別によって、大きな好きは大きな嫌いに代わった。
がむしゃらに勉強して、いい高校といい大学に入ったことは、父親を見返したかったから、という気持ちがエネルギーになったのも大きい。

見返したかった気持ちの裏には、とびきり褒めて認めて欲しかったのもあるだろう。
だから、高校に入るときに制服代すら出してくれなかったこと、弟たちに「勉強しかない頭でっかちな姉」と言っていたこと、久し振りに会ったマクドナルドで「女は大学に行かなくてもいいのに」と言ったこと、私の通った学部名すら覚えられずに卒業したこと、父より学歴も社会的地位も良くなった娘を疎ましそうに扱うようになったこと、全ての小さなカサブタは一気に集まって大きな傷となっていった。

母に撫でてもらって安心するには、彼女の手は小さすぎる。
もっとしっかりと、包み込まれたい。

私が色んなことを許してプライドを下げてしまえば、父にとって可愛げのいい人間になれば、父は可愛がってくれるだろう、そうすれば欲しいものは手に入る。
けどそれもそれでなんだか情けない気がするし、傷も癒されることはない。けど、情けないことの何が悪いのか、でもでも…、と繰り返して、結局突っぱねてしまう。

私が父に抱く気持ちは単なる遅く長い反抗期や思春期なんかではない。
もっと複雑に要素が混ざり合った愛憎で、例えば洗濯物を一緒にしたくないとかそんな生理的嫌悪を超えた、怖れも混じる嫌悪を抱いている。
ほんとはほんとはほんとは、そんなはずじゃなかったのに。

なにもかもごちゃごちゃ考えずに、全部の役割や責任を投げて、良いや悪いやすべての打算や計画を抜いて、素直に甘えられる人が欲しい。
それが私にとっての、ただの妄想であるお父さんの姿であり、今もずっと追い求める存在。

こんな心はどうしようもないから預けさせてくださいと、あなたに請い願っている。

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