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ミステリと言う勿れ第10話の感想文


テレビドラマ版
ミステリと言う勿れの10話目を観て
ボロボロと泣いてしまいました。

わたしは幼い頃から泣き虫でありましたし、
基本的に感極まり屋さんなので、
今回のことも自分にとって、
特別珍しいことではなかったんですが、

このドラマのお話のどこに引っかかって
自分は泣いたんだろう?と気になったので、
少し考えてみる事にしました。




まず、このドラマの音楽が
わたしはとても好きなのですが、

特に好きな曲が、ドラマのストーリーの肝みたいな所で流れるピアノの曲です。

それは、「泣いている人をヨシヨシしてあげている人」を思わせるようなメロディをしているなぁと感じます。



さて、今回、わたしがおいおいと泣いてしまったシーンなのですが、

乖離性同一障害を抱えている女の子(ちやこ)の、乖離した人格(ライカさん)が、このドラマの主人公(整くん)に、自分の事を淡々と話すシーンでした。


ライカは、主人格・ちやこの、辛い事だけを引き受けるためだけ"に生まれてきていた人格で、抑揚のない淡々とした口調と、無表情が印象的な子です。

そんなライカの願いは、
主人格である、ちやこの幸せでした。

つまり、自分の消滅が、
大切な人の幸せなのです。


そもそも、辛いことだけを引き受ける人格という存在そのものが、切なすぎやしませんか。いや、切ないのです。

ライカのセリフの中に

「(ちやこの役割を引き受けている間)わたしは何も感じないようカメラになった」

とあったのですが、
このセリフから、ライカでさえも、
感じたくないものを感じていた瞬間が垣間見えて、余計に切なさが込み上げてきました。



また、物語の終盤では、

ちやこが回復の兆しを見せ始め、ライカの人格の消滅が間近にやってきている事が明らかになりましたが、

"消えることへの躊躇"を感じるようになったと、ライカは、主人公の整に語りました。

それは、整に出会い、共に様々な経験をすることによって、ライカが存在してから初めて"楽しい・嬉しい"という感情を知ることになったからです。

自分が消える前に、その感情をもう一度だけ感じたいと、お正月の初詣に整と行った後、ライカの思い付きで焼肉屋さんに行くのですが、

その行動を、ライカは次のように語りました。

「(もうこれ(初詣)で終わりにするつもりだったのに)
つい欲が出てしまった。」

こんなにも、「もっとここに居たい」を感じるセリフがあるでしょうかっ。。。!!!

「もっとここに居たかった。」と言われるよりも、居たかった気持ちが伝わってくる不思議。

why???

わたしも、もっとここに居たい。って思う時に使おうと思いました。←



ちなみに、冒頭に書いた、わたしの好きな音楽が、「泣いている人をヨシヨシしている人」のメロディに聴こえたのも、また、ライカが自分をカメラに置き換えたセリフも、これと少し似ている気がしました。

どちらも、優しさや、切なさを、その言葉以上に表していて、もっとダイレクトに"それそのもの"を感じるというか。。。

自分では、エピソードそのものに泣かされている部分が強いのかな。と予測していたんですが、自分が、このお話にとても泣かされたポイントはこれだったんだー!と思いました。


音楽もお話も、作る人って、本当にすごいんですね。。!!👀




わたしは言葉を、意味そのままに捉えている節がありますし、自分もそうやって使っているように思いますが、

言葉選び一つで、こんなにも心が揺さぶられるものになるのか。。!と驚きました。


また、これは別件の話になりますが、

羅列されている言葉そのものはとんでもないものだったりするのに、なぜかその全体性を美しく感じたりするものがあるのも、こういう仕組みがあるからなのかも?と謎がうっすら解けたような気がしました。


これについては、自分としても大変興味深いので、
引き続いて考えていこうと思いました。


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