「いい子」ということ
前回書いた記事の後日談。
娘が「メモ帳」を正しく言えたとき私が「こないだまでメク帳って言ってたのにちゃんと言えるようになったんだね、もう赤ちゃんじゃないねえ、そっかー!」と言ったのに気を遣ってか今は「メモ帳」だとわかっているのに「メク帳」と言ってくれている。
言ったあと、私のほうを見てニヤリとするので「メモ帳って言っていいんだよー」と私が言う。これを一連の流れとして楽しんでいるようだ。
こどもは親にとても気を遣っていると思う。気を遣う、というより「親に喜んでほしい」と思っている、というか。娘の場合、それは特に母親の私に対してであることが多い。
私の体調が悪ければ夫に「パパ、ママは体調が悪いから休ませてあげて。パパがお昼サンドイッチ作って」と言いに行き、私が「今日は疲れたー」というと「おいで」と言って頭をなでてくれたりぎゅっとして「ママ頑張ったねー」と言ってくれたりする。
とても幸せなことだが、一方でそれが娘の思いやりの域を超え、私の顔色を窺わせるようなことにならないよう注意しなければいけない、と思う。
それで最近、「いい子」という言葉をなるべく使わないよう努力している。「いい子」(「わるい子」も)は、とても怖い言葉だ。親の価値観がダイレクトに出るし、ひとつの行為でその子の全人格を肯定したり否定したりする。「いい」「わるい」なんて、常識や文化の違いで簡単にひっくり返ったりするのに。
できるだけ「〇〇できて優しかったね」とか「〇〇できて偉かったね」とか、行動を具体的に言うようにはしている。でも「優しかったね」や「偉かったね」と言うのすらいけない気もするし…
褒めるのも叱るのも、正解なんてないとわかっているのに何が正解なのかついつい考えてしまいながら、まだまだ試行錯誤している。
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