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『ハンバーグ』

 ハンバーグ
 
 目が覚めたら、少女になっていた。その少女は、母の顔を見れば心の奥深くが何故だか形容しがたい感情に包まれ、父の顔を見れば優しい気持ちになる変な子だった。少女である事は、ずっと続く訳ではなく、その身体の持ち主と入れ替わるように意識が途切れ、また、気がつけば少女になっているのだ。
 
   一
   
 僕の彼女の料理はとても不味かった。中でもハンバーグはダントツで不味かった。食材全てに砂糖を入れるのが致命的な不味さを作り出す秘訣のように僕は思えた。何度も作って貰ったが、腕を上げることは無く、ついに大学三回生の夏のあの日、彼女はハンバーグはおろか他の料理も上達せずに事故で死んだ。
 僕はその知らせを聞いた時泣き崩れた。葬式から帰った日、冷蔵庫に大学の嫌いな教授にプレゼントする為にタッパーに入れて残してた、彼女の作ったハンバーグ(彼女は自分が作るハンバーグが不味いという事を自覚していたし、その事を攻撃手段として何度か用いた事もあった。)を食べる事にした。どんな物でもいいから彼女がこの世に居た証拠を今、受け入れなければ、絶対に僕の中から消えてしまう気がしたから。
 こんな時には味なんて気にならないと思ってたけど、度を越したこの不味さは、いつ食べてもほんとうに不味くて、マズくて、まずくて。形見という情けをかけてみても、クソまずい。砂糖をふんだんに使うからサトウキビがそのまま入っているように甘くて、中途半端な空気の抜き具合は中に空洞ができていて、咀嚼する度にバラバラと崩れていく。ソースは彼女の貯蓄癖により宿命的に消費期限が切れたトマトを使っているのでツンと鼻の奥を突き、後先考えず鼻の穴に水を流し込みたくなる衝動に駆られる。
 その形見クソマズハンバーグを口に含んだ瞬間、床に吐き捨てるか逡巡した。なんとか苦心して飲み込んだ時、苦痛からか寂寥からか、僕は泣いていた。僕が彼女に「作り方教えるよ」と冗談を言う日々が鮮明に呼び起こされた。

   二

 それから、大学を卒業して、料理が上手い妻と結婚して、いい職にも就きました。そして、三十歳になった頃に子供を授かりました。女の子。気づけばもう七歳で、最近は大人の女性に憧れてるようなのですが、私のコンプレックスである三十五歳くらいの頃に出来た、おでこのシワをイジって来たり、ハンバーグなんてものが好きだったりするし、食卓では人参も残すし、肘もつくし、礼儀や品格が足りないみたいで、まだまだ道のりは長いみたいです。私としてはずっと幼いままでいて欲しいなぁと思いますけども。
 
   三
 
 今日は妻が高校の同窓会で、娘と二人きり。パパ(ほら、まだ子供ですよね)、ハンバーグ作ってよ。そんな事を言うのでハンバーグを作ってみたが酷く不味いらしい。自分で食べてみてもマズかった。吐き捨てるか逡巡してるのを見た娘が苦笑いで「作り方教えるよ」と言う。
 時計は午後六時を指していて、夕陽の柔らかな橙色の光が雛鳥の羽ばたきのようなほんのささやかな風と共にダイニングへ入ってくる。その風は暖かくて、コップの中の氷が溶けだしてカランと音を立てた。
 
 父がハンバーグを食べた時に眉間に現れたシワを見ながら、砂糖を入れたらもっといい味になるのにと思った。父は私の中の誰かに似ている。思い出せないが、心の底から大好きだった誰かに。

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