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降り注ぐ爆弾を避けるための傘を作ろう


もう全部いいんだよって言ってやさしくわらって、アルコールなんていらないしタバコもいらない、もうすっかり夏だから炭酸が飲みたいねってサイダー買って、エアコンが効いた部屋でまどろんで、ゆめうつつな頭を撫でて、こんな世界が見えぬよう目と耳をふさいでほしい。

みんなに好かれなくてもいいよ。数字が全てなんかじゃないのよ。嬉しかったことは嬉しいと言っていい、悲しかったことは悲しいと言っていいのよ。偏見も差別も言い換えれば凝り固まった歴史なのよ。心から傷ついたと思ったら過剰な正当防衛を一緒にしようね。降り注ぐ爆弾を避けるための傘を作ろう。そこで2人で住もう。

脳みそみたいな紫陽花がこちらをみてる。人間になり損なった脳みそが所々欠けたまま脳の葉下から睨んでくる。

あついですね。時々思い出すこの匂い、なんだったっけ。

痛がってるじゃんやめなよ。ほら泣いちゃったじゃんやめなよ。ってそれも刃。

痛い言葉は飲み込まなくていい。耳を塞いであげるよ、そしてただ一心に唱えるの。サンクタマリア、サンクタマリア。



おじいちゃんが死んだ。がんだった。もう全身に転移していて、ここ1年間入院と退院を繰り返し、最後は寝たきりだった。頑固だけど孫の私と妹には優しくて、勉強熱心でなんでも知ってて、そしてそれを教えてくれて、父親がいない私にとっての男親のような存在のおじいちゃん。足が少し悪くてよたよたと歩く姿ももうここ数年見ていないことに気がついたのは、骨になって片足だけがぼろぼろになってしまった姿を見てからだった。私が最後におじいちゃんに会ったのは今年の3月、成人式の撮影で振袖姿を見せに行った時だった。振袖は私の母のもので、とても高価で美しい赤と黒と金のもの。がんは顔面にも転移していて、もうほとんど見えていないであろう目を頑張って開きながら、まぶたを震わせながら、声が出なくなった喉を動かそうとしながら、しっかりと私の手を握ってくれた。それが最後だった。つらいだろうにすこしだけ口角を上げて、白くなった眼球が私の顔を確かに見ていた。口が動いたが、何を言ったのかわからなかった。次に会った時再び握った手は固く冷たくなっていた。みんな泣いてる。コロナだからこんな狭い病室に集まることは本来禁止されているのだろうが、それでも看護師さんは入口で静かにたっていてくれていた。みんなが泣いている。みんな、泣いていた。母が泣き崩れる。私は頭の隅でどこか冷静でいながらもまた起き上がってくれるような気さえしていた。もうそんなことはないのだとわかっていたが、そう思わずにはいられなかった。それからはもう今思うとあっという間だった。酷く永遠とも思える誦経。鐘の音が頭に響く。着慣れない喪服。合わない靴だが靴擦れの痛みも感じない。重い真珠のネックレス。花に囲まれた棺の中の祖父。そのまま焼かれて骨になった。煙は無色で空が滲み、晴天なのに泣いているかのようだった。人間の骨は火葬されるとあまりにもろくなる。上手く箸でつかめないのは、そのせいなのか手が震えているからなのかわからなかった。あんなに大きな背中が小さな箱に収まってしまい、そこでやっと死んでしまったのだと実感できた。涙が出た。涙が出る。そのまま骨は祖父の家の2階仏壇の横に置かれた。祖父が好きだった曲がずっと流れている。糖尿病のせいで我慢していたであろう大好きな甘いものが沢山置かれている。毎日祖母は足が悪いのに2階へのぼり、祖父に話しかけているらしい。
長々とごめんね。書き残しておきたかった。




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