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無責任な大丈夫なら私はいくらでも言えた

朝晩は冷え込むようになり、晩夏と呼ぶには相応しい気候になってきたね。

前進も不幸も目論見もすべてを抱えています。足があるうちは歩かなきゃ行けないのだから。
今月初めにみた海のさざ波を抱きしめて乗り越えた1ヶ月でした。いろんな生命の器であるそれに飛び込めば死ねるという安心感。海が好きです。わたしは海になりたい。投げるつもりがない身を落とさないように踏みしめた足はかすかに震えていたし、振り返る友人はうつくしく見えました。広くて遠くてでも寄り添っていてくれるような、生きているような死んでいるような、支えてくれるような見放されているような、海に感じる矛盾した色んな気持ちが心地よく思えます。

いつまでも耳障りの悪いニュースは消えないし、脳は不幸ばかり敏感に感じとるし、かなしいとかつらいとかを貼り付けた感情が重たくて動けない。
それでも私は痛みに苛まれているひとに、苦しい思いをしているひとに、寄り添っていたかった。自分の痛みは本当は大切な人の痛みに比べたらどうでもよくて、なりふり構わずひとの心を守りたかった。自分が守りきれなかった自分の心を重ねているのかもしれない、つまりはエゴなのかもしれない、ただの自己満足なのかもしれない。でも大丈夫だと言いたかった。無責任な大丈夫なら私はいくらでも言えた。無責任な大丈夫を力強く言うのが救いだと思った。幼い自分が欲しかったのはそれだったから。

はやく冬になればいい。冬が1番すきだ。やるせなさをすべて寒さのせいにしてしまえる。

身近な人の悪意に震えたことがありますか。親のため息に体が強ばったことがありますか。やるせなさに涙したことがありますか。今までの悲しみが苦しみが、こわかったことすべてが、今後の糧になると思えますか。
私にはとてもそれができない。


見えないし抜けない棘が痛くてどうにかしようとする指にまで刺さってしまいそれでも痛いと言えずひとりでないていたねきみ。

一人で孤独を抱きしめて慰めたこと、できもしないことを諳んじたこと、歪んだ顔の人から逃げる夢、守らなきゃと守られたいの矛盾

ほんとうはすべてこわかったよ 純粋なまま抱きしめられたかったよ それでも自分の足で立たなきゃいけないことを知ってるよ


どうかいい夢をみられますよう。目が覚めることがなく眠れますよう。悲しいことが起こりませんよう。これは祈りです。




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