冷蔵庫にはいつも牛乳があった

言葉が出ない。比喩じゃなく、言葉が出てこないことが増えた。今これを書きながらも筆が(この場合指?)思うように動かずに休み休みでいる。生きている気も死んでいる気もせず自分のアイデンティティを疑い他人の視線を嫌悪し敏感な聴覚を呪った。牛乳は嫌い。だからうちには牛乳常備なんてされてない。おかあさんがまだ家事をしていて、父親がまだ家に帰ってきて、妹がまだいくつもの人格を持っていなかったころ、冷蔵庫にはいつも牛乳があった。裏口にあたるドアからさした光が冷蔵庫を照らしていて、まだ子供の私の手には届かない場所には帰りが遅くなり始めた父親とおかあさんが伝言を綴る用のホワイトボードがくっついてた。下から見上げるハートマークがなくなったのは何時からだっただろう。もう覚えていない。

思い出話ならいくらでも書ける。たぶん今さほど綴ることがないから。人間は美しい方を向きたがるし、私にとっては過去の健全だった家族がそれなんだろう。いまたとえ冷蔵庫に光がさしていても、牛乳が扉に収まっていても、おかあさんが描いたハートマークを見てもきっとあの頃みたいにはうつらないんだろう。あれはあの時だからうつくしかったのだ。

まさしく崩壊というふうに壊れた家庭は継ぎ接ぎだらけで支え合ってなんとか成り立っているけれど、私はもう支えられるのも支えるのもやめてしまいたい。

わたしは前を向けないまま前を向いたフリをして大きく項垂れていることを悟られぬフリをして笑いたくないのに笑い怒りたいのに深呼吸をし泣きたいのに嗚咽を飲み込み生きていく今更もう変えられないことはわかってる。

前は書くというよりも勝手に指が動くという感じだったのに今は考えないと言葉が出ない。考えると濾過してしまうから書けている気がしない。私は前の私の文章が好きだったから悲しい。また指が動くようになればいいなと思う。

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