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温かいスープを作って

言葉にできない事だらけだから、言葉にできることはなおさら大切にした方がいい。楽しそうなあの子も笑っているあの子も幸せそうなあの子もみんなみんなみんな泣いてる泣いてるその裏側を考えることが出来ない想像することができない人間さいあくだよ。

今って何年?令和3年。ああ、ああ。時代が変わっていくことと、自分が変わっていくことは同等ではないよ。ただ空がきれいだと心から言えるだけでいいのにね。人が嫌いな人間は接客に向いていると友達から教えてもらった。私は人が嫌いなつもりだったけど、接客に向いてないから人が好きだったのかもしれないとかいう拡大解釈。頭が痛いから抱きしめて。お腹が痛いから優しくして。温かいスープを作って。心が大変なことになってるから、何にもしないでそばにいて。できるだけ手を握っていて。大切だと思っていたのに夢だった。存在しなかった。現実にしか生きられないって誰が決めたのか教えてください。夢で生きてはいけないの?夢で生きることはできないの?

みんな何かに耐えている。まつ毛が上がっていても、まぶたにラメをのせていても、爪の先がキラキラでも、耳に揺れる銀色があっても、上手に髪が巻けても、布団にくるまって静かにもがいてる夜がある。みんな頑張ってるからって私が頑張る必要はないとなんで小さかった時に教えてくれなかったの?笑ってる私も元気な私も落ち込んでる私も泣いてた私も誤魔化した私も耐えてる私もぜんぶわたしだよって、そのままで良かったんだよって、教えてほしかった。数学の公式や漢詩や歴史、細胞の構成、英単語なんかよりも、もっと教えて欲しいことがあった。先生も親も万能じゃない、大人は大人のフリしてるだけだって、そんなやつらに気に入られようと、褒められようと頑張らなくてもいいんだよって、なんで教えてくれなかったの。

明日も精神科にいく。私は精神科の先生にすらいい顔をしようとしてしまう。良くなりましたって言ってしまう。ごめんなさい、本当は、私の根本はたぶんなおらない。抗うつ薬飲んでも、カウンセリングを受けても、たぶん、変わらないかも ごめんなさい 人の視線はマシになったけど、死にたいと思う頻度は減ったけど、たぶん根本何も変われてない。本当に良くなった人はたぶんこんなこと書かない。少しだけ良くなってしまった私は私の中で消えてしまったかもしれない、姿だけが見えなくなってしまった臆病な私を少し名残惜しくすら思っていること、誰にも言えない。

マスクの中で噛み締めているくちびる、泣かないようにできるだけへらしたまばたき、握りしめた手のひらにくい込む爪。透明になってしまったあの私と、本当は仲良くしたかった。

わたしのおとうさんはかぞくのことすてた。わたしのおかあさんはまだ小さかったいもうとで手一杯だった。長女だから私がお母さんたちを支えてあげなさいって親戚から言われた。わたしはわたししか頼れなかった。それが恨めしい訳でもない。そうなる運命だったんだろうとまでおもう。父のことはあまり覚えていないけれど母と妹のことは家族として大切に思っているし、今はそれなりに幸せな方だとも思う。だからこそ私は自分の気持ちとそれにギャップを感じて身動きが取れないでいる。だって別にもっと大変な人だっているし、って言い聞かせてきた幼少期。三者面談で大人びていると言われた、達観していると言われた。あんたたち私の何を見てたの。わたしのこと、だれも大人としてまもってくれなかったくせに。


青は元気です。大丈夫です。おやすみなさい。


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