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戻らないことばかり夢想するのは簡単な事だよと誰かが言った

きっとわたしは大人になりたかった。自立していて、悲しみや辛さを見せない、まともで素敵なひとになりたかった。その一欠片もないままもうすぐハタチになってしまう。

サンタさんも、病原体も、孤独な夜も、薬も、カッターも、制服も、先生も友達も、みんなみんな私を殺してはくれなかった。私の事傷つけたくせに苦しめたくせに笑ってる人間しかいなかった。

真夜中のカネコアヤノと動物の動画だけがやさしかった。叶わなかった恋も、嫌いになってしまった友達も、私たち家族を見捨てた父親も、叱ってきた先生や先輩も、その時だけは私のことを許してくれた。私だけが私を許さなかったけど、優しくしてあげることが出来た。

叱られる度、笑われる度、無視される度、散らばった心を集めているのにもう疲れ果ててしまった頃、私は病院に行った。薬をもらって、お医者さんや看護師さんに「頑張ってきたね」と言われても、私は頭の隅っこの方でずっと私のことを許せないままだった。苦しい時寂しい時、私のことを苛む声が聞こえた。服薬するごとにその頻度は減っていっているけれど、無かったことにはならないのだ、過ぎた時間は戻らないのだと責め立てられている。私は私のことをずっとゆるせない。

まっさらなこころでいた幼き頃に戻りたいと何度思ってもそれは叶わない。あたたかなひだまり、善意の約束、静かな午後、好きだったお菓子、アスレチックでしたごっこ遊び、花壇に咲く花々、木登り、厳かな教会、聖歌、車で聴くラジオ、民謡。家族はまだみんな揃っていた時代で、家に飾られていた季節ごとのオーナメントが大好きだった。時間になると出てくる兵隊さんの時計も、休日のお昼ご飯の冷やし中華も、決められた時間のゲームも私は好きだったよ、おかあさん。

戻らないことばかり夢想するのは簡単な事だよと誰かが言った。私はそいつの首を絞めてやりたかった。カッターで脈を切り刻むことすらできない私には到底無理な話だった。かわりに制服のスカートをぎゅっとシワができるほど握りしめた。何も間違えたくなかった高校生だった私。今の私には、「そうだよね、間違えたくなかったよね」と言ってあげることしかできない。私は少なくともあなたよりは大人になったのよ、ならざるを得なかったのよ、これが理想であるとははるかに言い難いけど、それを黙って置くことしかできないのよという思いを抱え、また汚いお金や手のひらに触ってきた手をぎゅっと握りしめることしか出来ない。傷つき散らばった心を集めてきたせいで血が滲んでいる手のひらを隠すことしかできない。

誰かに泣いて縋る夢を幾度となくみた。夢の中でないと誰かの腕に縋ることすらできなかった。ずっと前、「生ぬるい人生のくせに」と言われたことを思い出した。生ぬるくても蛙は死ぬし、人が温まることはできない。私が悲しみ苦しみ傷つきそれでも足をふんばって生きてきた生活が否定され、また心の中で蛙は死んだよ、ねえお母さん。

はやく海が見えてそばにパン屋さんがある静かな場所に移住したい。そこで猫が飼いたい。花を育てて好きな時間に起きて傷つけてくるひとたちみんなから距離を置いておきたいよ。そしてもうなんにもわからないって言いながら海に身投げしたい。

こんなこと言いながら今日も生きるし明日も生きるんだろうな。私は私以外の人が、大切な人が幸せに健康に暮らしていてほしいと思うだけだよ。

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