【思考】低学歴と高学歴、あるいは田舎と都会

今更ながら、先日、このブログ記事を読みました。
低学歴と高学歴の世界の溝

 私も、ヤンキーとまでは行きませんが、学力が全国平均より低い都道府県の、なおかつ過疎地域に生まれ育ち、大学進学を機に上京しました。低学歴かつ田舎です。
 いじめられた訳ではありませんが、中学生頃から、絶対にここを出て東京へ行く、という強い決意があり、その決意は揺らぐことはありませんでした。大学卒業と就職が近付いた時期にも、関東近郊で生計を立てること、すなわち地元に戻らなくてよいこと、が、職業選択の中で大きなポイントでした。
 現在、上流階級からは程遠いですが、関東で普通に生活可能な収入を得られる仕事に就きました。居所も、大都会ではないですが、出身県の県庁所在地以上には便利かつ人口規模がある地域に定めました。不満がないわけではないですが、先のブログを読み、あの地元を出て、自分の望む生活がある程度叶えられたことは、とてもありがたいことだ、と今更実感しました。
 私は自分の地元に全く愛着がないし、戻りたいと思ったことは一度もありません。たまに帰省するのは親や友人に会うためで、彼らが地元を離れたら、二度と行くことはないでしょう。

 なぜこういった考えを持つようになったか、時々このテーマで、これから文章に現しながら突き止めていきたいと思います。

 冒頭のブログでは学歴による世界の分断がテーマですが、私はそれに加えて、生育環境が田舎か都会か、でも世界は分断されていると考えます。従って、
低学歴・高学歴
という軸に加えて、
田舎育ち・都会育ち
という軸でも記述していきたいです。

 田舎と都会では、同じことを実現するのにかかるエネルギーが大きく差がある(田舎が大変で、都会が容易)というのが、自分が思っていることです。インターネットにより、随分差は縮まりましたが、今でもその差は歴然とある、と思っています。

 低学歴の世界に暮らしていても、都会ならば、高学歴の世界に移行することは比較的容易と思われます。例えば、中学受験などを経て学歴を手にいれれば、家の場所等は変わらなくても、日常的に接する世界は変わります。これが田舎だった場合、日常的に接する世界を変えたくても、その選択肢がありません。高学歴というほどの学校がそもそもなかったり、通学が困難なほど遠くにしかなかったりします。そのような環境で世界を移行するには、大きなエネルギーが要ります。もし世界を移行できるポテンシャルがある者でも、そのエネルギーをかけられなければ、結局世界を移行することはできません。

中途半端ですが、また考えをまとめながら、定期的にこのテーマで記録をしたいと思います。

以上

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?