『思いやり』と『自己満足』と『自己肯定』
人には思いやりを持って接しよう。人が嫌がる事はしない。人が喜ぶ事をする。人から奪わない。人に与える。人を満たす。人を幸せにする。
人を幸せにする為には、自分が満たされていなければならない。自分が幸せでなければ、人を幸せにする事はできない。自分が満足していなければ、人を満足させる事はできない。自分が満たされていないのに人を満たそうとする行為を『自己犠牲』という。自分を削って人を満たす。
人に貢献できた時、人は満足する。人を喜ばせる事ができた自分を好きになる。自己を肯定できる。そして、人を喜ばせる為には、自分が満たされていないといけない。自己犠牲では意味がないのだ。人を喜ばす前にまず、自分で自分を喜ばせなければならない。
満たされていない人間は『思いやり』を持てるのか?自分が満たされていないのに、人に『思いやり』を持って接する事ができるのか?枯渇している人間が、自己を犠牲にする事なく、人に何かを与える事ができるのか?
自分が満たされる為に人から奪う?人から奪えば自分が満たされる?満たされた後に人を満たす?人を満たして自己を肯定する?人から奪うという行為で自己は肯定できないだろう。
どうやらまず『自分で自分を満たす』ことが必要なようだ。どうすれば自分は自分を満たす事が出来るのか?自分が満足できていれば人を満たす事もできそうだ。人を満たす事ができれば、自己も肯定できそうだ。
自分が満足する事ってどんな事?自分に価値を見出せる時って?
人に愛されたいのなら人を愛そう。人を愛する事は自分を愛する事だ。人と私は同じなのだ。
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