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原学級保障

こんにちは、まりりです。

最近の次男君は、すっかり普通に学校へ行くようになりました。
身体の疲れも以前より格段に少なくなったように思います。身体ができてきたなぁと感じる日々です。

毎日、普通に学校へ行くこと、身体を動かすこと、勉強すること、そういったことに気構えせず、普通に行けている次男君が頼もしく感じる日々となりました。

今回は、親として子育てで感じてきたことをお伝えしたくて記事にしてみました。

○全然インクルーシブじゃない息子たちの学校

私は長尾まさ子先生の「発達ステップアップレッスン」に巡り合うまで次男にいわゆる「療育」というジャンルのことをさせてきませんでした。
以前のブログでもお伝えしたように、藤川徳美先生の本を読み栄養療法に興味を持ち、普段の料理やサプリなどで栄養を意識してきたことはありました。栄養に関しては、とても重要だと感じておりますので、今後は必要とされる方向けに有料でお伝えできたらと思っています。

次男の子育てで一番困ったのは、からかわれる・馬鹿にされる・いじめられるという ことでした。
いわゆる心理的な排除です。
これが私はとても辛かったです。
発達については、大多数の子とは違うけれど特に問題ないのでは?と思っていたからです。

学校では「いじめはいけない」という教育もされていたので、だんだんなくなるだろうと思って見守ってきましたが、いっこうになくならない傾向がありました。

明るい性格の次男ですが、不登校になる前にはだんだんその明るさもなくなり、人が好きだった子が学校へ行かなくなり、学校で、子ども達の世界で何が起こっているのだろう?と思っていました。
人嫌いにさせないために、学校以外の居場所も確保しました。

まわりと同じことがとっさにできないことで、からかわれることが多く助けてくれる子どもはほとんどおらず、いじめる子、静観する子だけだった気がします。

それでも道徳教育で、先生に言われて先生の前では子ども達は表面的に助けてくれたり声をかけたりするけれど、先生がいないところでは次男が困っていても静観されることが多かったように思います。先生や大人がいる時といない時で子どもたちの態度が違い、困りきって大きな声をだすと「うるさい」となり、その場面だけ切り取られて先生に注意される そんな場面が多かったです。

全然インクルーシブじゃないな・・・

まわりと違うことで、いじめられる。
まわりと違うことで、浮いている。
大多数の子どもは、浮かないようにどう見られるかを気にしている。
そのことはしんどいので、陰でそのうっぷんをはらす。

その風潮がとても強いように感じていましたが、私には「まわりと違うこと」でそのような態度を子どもたちがとることが心底理解できませんでした。


○大阪の小学校と息子たちの小学校の違い

私は学生時代のほとんどは大阪で育ちました。
息子たちは今、大阪ではない都道府県で育っています。

私が小学校の時、クラスには体が弱く外で遊べない男の子、血が出ると止まらない男の子など、身体的制限を何かしら持った子が何人か普通にいました。中学でもいました。
先生からは、○○君はこういう身体だから外で遊べないよ、気を付けてね
みたいな言葉はあったと思いますが、子ども達は普通にそれを当たり前のこととして受け入れ、普通に過ごしていました。

子どもの時の私は、外で遊べない男の子たちのことを特別視しておらず、また周りの子達も特別視していませんでした。いわば、それが普通、当たり前でした。何か特定のことをできない子がいても、それが当たり前の世界だったのです。一見普通に見える子も、大なり小なり得意、不得意、できる、できないはありましたので。
大阪ですから、キツイ言葉は飛び交いますが、陰でコソコソとかはなかったです。「特別視しない」雰囲気は大人(学校にいる大人)がそうだったので、子どもも特別視していなかったのだと思います。本当に「普通」でした。

今になって大阪が「原学級保障」という仕組みを採用していて、私は小学校の時から日本版インクルーシブ教育の中にいたのだと知りました。
そしてこの「原学級保障」は大阪だけの制度であることも最近知りました。

○原学級保障について

「原学級保障」については、金城学院大学の原 田 琢 也教授他5名の論文

日本型インクルーシブ教育への挑戦
― 大阪の「原学級保障」と特別支援教育の間で生じる葛藤とその超克 ―
 

に詳しく研究内容が記載されています。以下、論文より抜粋します。
(この研究論文は普通にネットで検索してみることができます。)

”2 .大阪における原学級保障の形成過程と 課題

2.1.原学級保障の形成過程

本節では,まず「原学級保障」について, その考え方や実践の形成過程を概観したい。 原学級保障は,端的に言えば,障害のある子どもが通常学級で他の児童生徒と共に学ぶことを保障しようとする実践である。それは,現在,大阪の人権・同和教育で一つの理念として重視される「ともに学び,ともに育つ」 教育を具体化する取り組みだと言えよう。「共生・共学」を目指す実践は大阪だけではなく, 関東など他地域でも見られたが,「原学級保障」は大阪以外の他府県ではほぼ聞かれない 用語であり,大阪独自の実践としての性格が 強い。

~中略~

”一方で,当時,障害児教育の全国的状況としては,国が1971年に発表した養護学校義務化の方針を受け,障害児の教育の場がどうあるべきかについて,様々な議論が起こっていた。そうした議論の一つに,個々の障害児の発達の権利を尊重し,その能力拡大の支援を重視する観点から,障害児の養護学校での教育に賛成する発達保障論があった。他方、そうした見方を分離・別学体制として批判し, 「分けない教育」を擁護する立場として「共 生共学論」(ないしは共生教育論)があった(以下,共生共学論と呼ぶ)。 堀(1997)によれば,この共生共学論に立ち,障害児の地域の学校および普通学級での就学を求める運動は,1970年代以降,関西地区,関東地区のそれぞれで活況を呈したが, 特に,前者では,部落解放運動の影響を受け, 関東とは違った独自の運動の発展が見られたという。具体的に言えば,関西地区,特に大阪では,ここを拠点とする全国障害者解放運動連絡会議(全障連)と大阪の部落解放運動 が1970年代半ばに「被差別者の解放」という共通項に基づき共闘関係を形成した。この運動上の共闘は,二見(2017)の豊中市の事例に示されるように,解放教育や教組に関わる教員たちの障害児教育に対する認識にも影響を与え,障害児の学びの場を「地域の学校で」「普通学級で」保障しようとする運動が 大阪府の一部自治体で活発になった。それらの自治体では,1979年の養護学校義務化の実施に先んじて,早くから教員主体の運動により,地域で未就学の障害児の存在が把握され,かれらを地域の学校に就学させる取り組みが進められた。 さらに,こうした運動が進む中,大阪の多くの学校では,障害児の生活と学習の場を養護学級ではなく「原学級」(普通学級)に置き, 共に教育する実践が1980年前後から実施されるようになる。これが,原学級保障と呼ばれる実践である。この実践では,養護学級を名目上学校内に配置しつつも,学習の場としてほとんど用いず,養護学級担当の教員が原学級に入り込み,障害児の普通学級での学習と生活を支援する形が取られた。これにより 「共生・共学」の教育が実現され,二見(2017) が述べるように通常学級に「障害児がいることが当たり前の風景」が生みだされた。さらに,こうした実践の積み重ねは,障害児を公立の普通高校に進学させる運動にもつながっていった。”


子どもだった時は、こういった背景があったことは全く知らず育ちました。そして身体的制限を持った子を「障害」と思ったこともなく育ちました。だって、学校ではそんな言葉は先生も使っていなかったからです。「違い」としての先生からの言葉はあったように思います。先生方がとても配慮を重ねた言葉遣いを意識されていたのだと思います。

私はたまたま「日本型インクルーシブ」という場で育ち、いろんな子がいて当たり前という感覚を持っていたことはとても大きな意義があったのだと思います。

また大阪には「みんなの学校」という映画で有名な「大阪市立大空小学校」があります。この学校も「インクルーシブ教育」を実践されていることで有名な学校であり、引っ越しまでされて通わせる方もおられると聞きます。


○「発達保障論」「共学共生論」どちらがいいか?

お子さんや親御さんの考えによって、どちらがいいかという考えは違うと思います。私個人としては、公立小学校は地域の小学校ですので「共学共生」という意識のほうが合っているのではないか?と思います。個別の教育方針がおありの親御さんはその教育方針にあった私立の小学校を昔から選ばれていると思いますし、今の時代は様々な学びの選択肢が増えてきているのも良いことだと思います。


○じゃあどうする?引っ越す?

どうしても、いじめがなくならず次男が苦しい場合は引っ越しも視野にいれないといけないなと思ってはいました。
そのことを覚悟した上で、学校と話し合いを続け、次男はレッスンも続けていくことで、段々学校へ通えるようになったように思います。次男を理解してくれる先生との出会いもありました。身体が発達し、疲れにくくなることで、意思も強くなってきた気がします。
実際に、発達ステップアップレッスンによって「良いこと」があったので
こうやって発信もしています。
環境調整と身体へのアプローチの両輪でやってきました。

インクルーシブ教育の根っこがある大阪の教育からは、学ぶものがたくさんあるのではないでしょうか?

私は学校へ「大空小学校」の記事を提出したこともありましたが、全く反応はありませんでした・・・・・
それでもね、何かはお伝えしたいなという気持ちでやってきました。



○様々な考え方の共生とこれから

発達には個人差があり、人間にも個人差があります。ましてや小学生の子どもは個人差のある真っ只中だと思います。「共生」には「認め合う」という要素もあり、次男が味わった「心理的排除」と反対の観点だと考えます。

先に紹介させていただいた、研究論文のように、今は「インクルーシブ教育」について様々な知見がみられるようになりました。
こういった知見から、子ども達に良いことはドンドン取り入れて、自分の子ども達の学校がかわっていくと良いなと感じています。

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