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マカン・マラン

古内一絵の夜食カフェ全4巻を読み終えた。1冊目は少し前に読んで、すでに図書館に返却してしまったので、上は手元の3冊を写したもの。本の装丁がすごく素敵なのだ。

古内一絵は、馬の本を手当たり次第に読んでいる中で出会った作家だ。図書館で、インターネットで「馬」を切り口に本を探し求めて読んでいるときに『風の向こうへ駆け抜けろ』がヒット。すごく面白かったので、続編の『蒼のファンファーレ』も読み、すっかりファンになった。TVをほとんど観ないので、知らなかったが、ドラマにもなったようだ。

読書の大半が馬という切り口なので、ファンになってもしばらく古内一絵の本は読んでいなかったのだが、図書館で思い立って、本棚を覗き、この本の装丁にとても惹かれて読みはじめた。

目次がMenuとなっていたり、2冊目を「ふたたび」、3冊目を「みたび」、4冊目を「おしまい」と呼ぶ言葉のセンスがたまらなく良い。

とはいえ、1冊目を読んだときは、あり得ない設定がどこかぎこちなく感じた。ドラッグクイーンが深夜にひっそり開く夜食カフェに実際に足を踏み入れたら、やはり面食らう、怖じ気ずく、逃げ出したくなる、でも知りたくもある、というのが自然な反応ではないかと思う。かく言う私も、まさに半ば逃げ腰で1冊目は読んでいたのではないかと思う。

2冊目からはその雰囲気にすっかり慣れて、シャールという大柄なドラッグクィーンが、頭の中で、2016年に観たブロードウェイミュージカルのキンキーブーツ東京公演のローラ役(ものすごく背が高かかった。名前は覚えていない)の姿、声はキンキーブーツのオリジナルキャストのローラ役、マット・ヘンリー(この役で数々の賞を受賞)ではっきりとイメージができあがり、このカフェの常連となった気分で読み進めた。

毎回、悩みというか、進行中の生活、生き方がどこかうまく行っていない、そういう人が登場するのだが、東京という設定も関係しているのかもしれないが、ほとんどが一人暮らし。昔の小説は決まって、家庭内のごちゃごちゃだったり、親子、兄弟姉妹の確執がテーマだったように思う。今や多くの人が一人で暮らし、一人で悩む。親との確執があっても、いまの時代、嫌なら家から出て一人で暮らすことは案外、容易くできてしまうのだろう。でもだからと言って、確執が解けるわけでもないし、すっかり解放されるわけではない。

読み進めて行くと、シャールというドラッグクィーンだからこそ遭遇する拒絶、否定や悩みがあって、それにいちいち反論したり、歯向かうのではなく、しなやかにかわしたり、自分を励まして生きてきた知恵、観察して知り得たヒントや閃き(英語で言うところのinsight)が食事をしながら、ときには用意しながら、ごく自然に語られているのが、心に響くのだと思う。今、一人で暮らしているから、なおさらそう感じたのかもしれない。

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通訳の仕事をしていると、色んな人に出会う。舞台関係の仕事ではLGBTQと呼ばれる人とも多く接する。海外のオペラの日本公演で、私は照明係の人の通訳をしたことがあるのだが、このとき衣装のトップと監督は、ダイレクトにいえばおかまとゲイだった。公演に向けて準備に忙しく、皆、挨拶もそこそこに作業に没頭する日々(つまり、通訳なんて必要な時以外はいちいち構ってられない状況)だったが、この衣装のトップだけは、どんなに忙しくてもHow are you today? とこちらから声をかけるとOh, thank you for asking me. と必ず言ってから、元気よ、とかちょっと飲みすぎちゃったわね、とか返してくれた。優しさが伝わってくる会話で、もう20年くらい前のことなのに、耳の中に、その響きが残っている。話しかけても無視されたりした経験があるからこその優しさだったのかもしれない、とこの本を読み終えた今はそう思ったりもする。

5冊目「ごぶさた」なんて、ダメかしら? センスない? もっとシャールさんのお話が読みたいな。


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