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アンモナイト

冬に浦河森林公園を案内してもらった時、ここにはアンモナイトの化石が出るんだよ、と教わり、カメラに収めたものの、どれなのかもよくわからず、頭がフリーズしてその先に進めずにいた。

先生現る

今日、たまたま時々行くCafeで、私の後に入ってきた方が、山を散策するような服装で、なんか幸せオーラを出しながら、「どうも」と席に着いた。Cafeの方から、化石を研究している人だと紹介され、初対面なのに、色々と質問攻めにし、その答えが物凄く興味深く、食べるのも忘れて、話をきいた。

地質学

アンモナイトという言葉は理科の教科書で習ったと思う。しかしその意味するところ、興味の対象となる理由がよくわからないでいた。先生によると、アンモナイトも進化して行くので、どの時期にどこにいたかが化石から特定されると、白亜紀と言う1億5500万年前から、6600万年までの空白のページにストーリーが書けるようになる、と言う。地質学にロマンを感じるなんて、夢にも思わなかったが、この説明で一気に興味のバロメーターが上がった。

ナウマン

日本で発見されたアンモナイトで一番最初に論文で発表されたのは、なんと浦河で採集されたものだそうだ。明治に日本政府は石炭などの鉱脈を発見することを主目的に外国人を雇い、北海道で地質調査をしていた。その一人、米国人のベンジャミン・ライマンと言う人が採集して(おそらく絵笛、井寒台のあたり)、当時帝国大学にいたナウマン博士(ナウマンゾウはこの人から名前がつけられたし、フォッサマグナを発見したのもこの人)に送り、ナウマン博士がドイツに一時帰国した際に、そのアンモナイトの化石標本を持って行き、ミュンヘンで研究したそうだ。

横山又次郎

ナウマン博士は1880年に「蝦夷島(北海道のこと)における白亜紀層の産出について」と言う論文を書いているが、その時にはこの化石に名前が正式につけられていなかったそうで、その後、日本人の横山又次郎がドイツに行って研究し、「日本白亜系産の化石」と言う論文で名前がつけられたのだそうだ。(名前を聞いたのに忘れてしまった。)この横山又次郎は森鴎外と同時期にドイツ留学をしているため、一緒に写真に写っていたり、森鴎外の『独逸日記』に登場するのだそうだ。

ピー助

野尻湖のナウマンゾウについて小学校の時に本を読んで面白かったのを覚えているし、森鴎外とも繋がると、地質学がなんだか身近に感じられるから不思議た。さらに、映画「のび太の恐竜2006」に登場するピー助はこの辺でも化石が見つかっているエラスモサウルスをモデルにしていると言う。ピー助もエラスモサウルスも今日初めて聞いた言葉で、その場で画像検索してその姿を初めて見たが、ネッシーみたいに首が長くてウミガメのような体の生き物が住んでいたということですね。(スコットランドでネス湖に行ったことがあるが、ネッシーには会えず、スコットランド語と英語の混じった運転手の説明が理解できなくて、Loch Ness=ネス湖しかわからなかったことをネッシーと聞くと思い出す。)

疑問

先生はそもそもどうして地質学に興味を持ったのか、と聞いたところ、浦河出身で小さい頃に昆虫や化石に興味を持ったそうだ。そして北海道にはマンモス象の化石もナウマンゾウの化石も発見されていることを疑問に思ったという。マンモス象は氷河期にシベリヤやアメリカ大陸と陸続きになった時に渡ってきたことで説明がつくが、ナウマンゾウは南から来るはずで、そうなると、津軽海峡のあたりは地続きであったことがなく、移動できなかったはずだという。今は象は氷河期で水位が低くなった時に、泳いだのではないかという説があるのだそうだ。長い鼻をシュノーケリングのようにして。

とにかく話が面白くて、すっかり地質学に興味を持ったものの、何から始めて良いかわからない。先生とLineでつながり、児童向け、つまり私にもわかるオススメの本を紹介してもらうことにして、Cafeを後にした。

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