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自分と同じ臭いがするやつ嫌いだよ

 世の中と自分との感覚の相違について、保育園の頃くらいから自覚していた。これは、なんかぁ~私ぃ~個性的でしょお?人と違うのぉ~うふふ。という話モテ系な話ではないよ。この相違に【どれだけ】悩まされたことか。人間関係の悩みには、人間が分からなすぎて神経を使いすぎて一周も二周もしてしまって。今まで振り回されたと感じるから怒りすら沸いてくる。※今は、あんまり大きな悩みはない。

たとえば小さい頃、大人の話していることがよくわかる子供だったとおもう。大人は、まだ子供だからと分からないだろうという前提で、大人同士で俗っぽい話をしたりする。それの意味、お母さんの足元で遊びながら聞いていて、たぶん殆どわかっていたと思う。だから、ちょこっと話を聞くとその意図することがよくわかった。この意図をこちらで実はしっかりと分かっておきながら、それを前提として話を進めると、向こうは分かっているはずがないと思っているから、めちゃくちゃ話がズレた。だからよく【天然ちゃん】と言われていた。

たとえばこう。本当にたとえば。

誰かがノートを書いている。その人との会話の前後で、その内容がわかってしまう。ちらっと見えた内容で
今日成し遂げたことを書いていたとする。それは、その人は説明しなければ私は分からないと思っている、でもチラ見すれば私はすぐわかる。
『その⚫⚫って、Googleで調べれば出てきそうじゃない?』(=調べたらもっと知れるんじゃない?=成し遂げられることが増えるんじゃない?という意味。)と言うとする。
そうすると、その誰かは全く意味がわからない。だって、わたしにノートの意図が伝わってると思ってないから。

 いまも実は思ってる人いるかもしれないけど、たぶんわたしの本質を知る人は【天然】だとは思わないはずだ。ねぇ、これを読むあなたはどう思ってる?どっちでもいいよ。これから知ってくれれば。

まどかちゃんて~天然だねって言われるたびに、あぁ、このひともその類いか。と思いながら、【その方が楽なので】えへへ~よく天然だって言われるんだよね、と天然ぶったりしたほうがいままで楽だった。
そして、それがエスカレートして自分のキャパより【できない人】ぶったほうが、相手の期待に応えてる気がして楽だった。それに、自虐ネタはうける。

でも、それ辞めたんだよね。わたし出来ない人ぶるの楽だったけど、出きるもんは出来るんだから楽にいきるんじゃなくて自分らしく生きるって決めたんだよ。

だからね、もう人の期待に応える必要がないんだよね。あぁ、何て楽なんだろうね。だれの期待に応えてたんだろうね。わたし、見た目でよく怖がられるのだけど、怖くないよ、わたしこんなに天然なの、そんでおとぼけなの。っていう周りに対する仲間意識だったの。嫌われたくなかったの。

※まぁ、おとぼけはほんとだけどね。

だから、わたし自分と同じ臭いがする人が嫌いだよ。天然ぶってるこいつ、ホントは知ってるでしょ、と思う。楽に生きてるんじゃねーよと。※ホントにおバカさんもギャクニわかる。

本気だそうよって思うからだよね。わたしに、それを言いたいの。

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