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【僕とお兄ちゃんの、ちょっといい話】

少し長くなりますが
今日はちょっといい話なので最後までみてくれたらと思います。

僕は
兵庫県の淡路島という島で
4人兄弟の3番目として生まれた。

兄、姉、僕、妹という順番だ。

僕は
お兄ちゃんとお姉ちゃんにお世話をしてもらうことが多かった。

母は看護師で

僕が生まれた後に、職場へ復帰した。

3人兄弟となり

サラリーマンの父親だけの稼ぎでは

今後3人を満足に育てることが
難しかったんじゃないのかなーと

今ならその理由が少しわかる。

母と父は熊本県出身。

当然、周りに助けてくれる親戚や家族はいなかった。

母は本当に毎日死にものぐるいで
身を粉にしながら4人を育ててくれた。

僕は小さいながらに
母に甘え過ぎたら、お母さんが壊れてしまう。

といつも考えていたのを覚えている。

僕は
母が忙しく仕事をしていたので保育園に通っていた。

でもある日

兄や姉と同じように幼稚園へ行かせてあげたいという母の願いで

途中から幼稚園へ行くことになった。

いつもお迎えは1番最後だった。

預かり保育の中でも
決まって最後の最後まで母はこなかった。

お母さんは頑張って働いてくれているから仕方ない。

こども心ながらに

お友達が帰るたびに寂しさを感じていたことを覚えている。

そんな中で

僕にとってのヒーローがいた。

【お兄ちゃん】

の存在だ。

お兄ちゃんは野球をしていた。

ほぼ毎日練習があったけど

野球がないときは

いつも僕の幼稚園のお迎えに来てくれた。

お兄ちゃんが来る日は

いつもみんなと一緒にバイバイできた。

すごくそれが嬉しかった。

まだ小学5年生の兄は

小さな自転車に乗って迎えにきていた。

小さな自転車の荷台に乗って
家まで帰った河川敷の道は今でも忘れられない。

何度か、足が車輪にからまって騒動になっていたことも覚えている。笑

そんな中

兄は
僕が寂しがらないように

お小遣い箱の中から
お金を取り出して

河川敷に売りに来る
おじいちゃんの飴細工をいつも買ってくれた。

飴細工は

おじいちゃんが飴を色々な形にその場で作って、それに応じた料金を支払うスタイルだ。

恐竜の形にすれば200円くらいしていたと思う。

ただの丸だと50円くらいだった。

お兄ちゃんはいつも

「ゆうへい、恐竜がいいか?」

と言って、恐竜をすすめてくれた。

何にもわかっていない僕は

「うん!」

と言いながら
口の中を切りながらも
嬉しそうに恐竜の飴細工を食べた。

恐竜を嬉しそうに食べる僕の横で

兄はいつも決まって

丸の飴細工を買っていた。

僕は

なぜお兄ちゃんも恐竜にしないのか
理解できなかった。

お腹が空いたとき

お兄ちゃんは
いつも僕にピザまんを買ってくれた。

僕はピザまんが大好物だった。

ピザまんは120円くらいした。

お兄ちゃんは

「ゆうへい、ピザまん食うか?」

といって、近くのコンビニみたいなストアに連れていってくれた。

美味しそうにピザまんをほおばる横で
いつもお兄ちゃんは肉まんを買っていた。

肉まんは100円くらいだった。

僕はいつも

「何でお兄ちゃんはピザまんを買わないんだろう?」

と思っていた。

大きくなって僕は母から聞いた。

小学生のとき
お兄ちゃんの
お小遣いは毎日50円だったみたいだ。

それを聞いて僕は

何でお兄ちゃんが

丸の飴細工や、肉まんを買っていたのかが

ようやくわかった。

【お金が足りなかった】

のだ。

300円くらいたまったタイミングで

お兄ちゃんはいつも僕が大好きな飴細工やピザまんを買ってくれていたのだろう。

その兄弟の姿を想像するだけでも

泣けてきた。

おそらくお兄ちゃんは

寂しそうな僕に気を使ってくれていたんだろう。

僕はいつも母に甘えたかったけど

いつも夜まで忙しく働くお母さんに僕はこどもながら、
なかなか甘えられなかった。

お母さんは大変だから

我慢しよう。

いつもそう思って我慢していたのを覚えている。

その甘えたい感情は

いつも兄が受け止めていてくれた。

今まで恥ずかしくて
中々言えなかったけど

次あったときに兄に尊敬していることを伝えたい。

そして

全国のママやパパを

やっぱり僕は応援したい。

自分を犠牲にしてでも

こどもを育てる親はやっぱり僕の中では1番偉大な存在だ。

まだまだママ達やパパ達が笑顔になれるモノを

僕は創り続けていくだろう。

ママやパパが笑顔でいることが
どんなにこどもの笑顔に繋がるのか。

それを僕は誰よりも知っているから

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一般社団法人ママリュクス代表 宮田雄平