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1.FRB (連邦準備制度理事会)のはじまり①「プロパガンダを暴露する(無検閲)(第六話)」byタイ&シャーリーン・ボリンジャー

テレグラム.EriQmapJapanより、Eriさんのサブスタック.ニュースレター[新連載]NO1を共有させて頂きます。

Eriさん『久しぶりにサブスタックの連載を始めました。まずは、「銀行💩」について学ぶ話から入ります。🍿🙏🏼🥰 』

1.FRB (連邦準備制度理事会)のはじまり①
「プロパガンダを暴露する(無検閲)(第六話)」byタイ&シャーリーン・ボリンジャー

はじめに:

ボリンジャー夫妻のこのドキュメンタリーシリーズは、全九話からなる膨大なもので、Eriが全エピソードをチェックし、中でも特に、日本国内のネットで検索しても、あまり詳しい話が見つからないと思われる “第六話”の内容を、動画の作成と同時進行で翻訳させていただくことにしました。動画だけでなく、文章で読んでじっくり理解していただくことで、拡散につながるのではないかと考えたからです。

動画のほうが多くの内容を網羅していますが、このサブスタックにおいては、中でも重要と思われる 1.FRB (連邦準備制度理事会)のはじまり、2. フッ素とヨウ素について、3. 有機汚泥散布問題 の、3つの内容を掲載させていただこうと思います。

この動画を翻訳させていただくにあたり、このドキュメンタリーシリーズ中に、スコット・マッケイ氏など、明らかにフォロワーを買うという不正をおこなうことでインフルエンサーのフリをしている、素直に尊敬できない不審な方々が数名 “発言者”として登場していました。しかしながら、ボリンジャー夫妻は、陰謀の暴露の先駆者で、ジョーダン・セイザー氏など、現在の有名アノンたちの多くを医療詐欺の真実に覚醒させた大先輩でもあり、今回翻訳する部分の信憑性自体には特に問題がないと判断して、翻訳させていただくことにしました。

なお、この翻訳文は、QAJFのぷく隊員 (ウサギソルジャー)に大まかに翻訳していただき、それにEriが修正を加え、サブスタック掲載用に文章を整えて完成させたものです。

ぷくたん、いつもありがとうございます。

それでは、 “「プロパガンダを暴露する(無検閲)(第六話)」byタイ&シャーリーン・ボリンジャー“ を、翻訳してまいります。

最初のエピソードで「大手製薬会社とAMA (アメリカ医師会)が医学部のカリキュラムを支配した」という、1910年のフレクスナーの報告書に触れましたが、その年に起きた出来事は、それだけではありませんでした。

当時のアメリカは、まだ自由な国でした。ところがこの時、世界中の有力な銀行家たちがジョージア州のジキル島に集まり、彼らの父や祖父の目標を成し遂げたのです。

アメリカはそれ以来、すっかり変わってしまいました。

米連邦準備制度理事会をご存知でしょうか? 元議長のベン・バーナンキは、以下のように述べています:

「合衆国憲法で定められ、各議会によって信任されていた“お金を鋳造しその価値を規制する権限”は、1913年にFRB(連邦準備制度)へと移されました」

わたしたちは学校で「FRB (連邦準備制度)はアメリカ政府の一部門であり 柔軟かつ安定した通貨と金融システムを提供する国の中央銀行である」と習います。

でもそれは嘘であって、真実ではないのです。

FRBとは、実は、1910年にジョージア州ジキル島に集結した富豪のグループが発案した "アメリカと外国の富豪が所有する民間銀行の制度" です。

当時のジキル島はプライベートリゾートで、そこには美しいクラブハウスがありました。この島には、当時 "コテージ " と呼ばれた、世紀末の優雅さと豪華さをまとった富裕層の夏の別荘が多く残っていて、誰でも見学に行くことができます。

しかし重要なのは、このクラブハウスでおこなわれた会議です。

調べてみたところ、彼らは、ただの会議ではなく“極秘会議”のために、この島に行ったことが判明しました。これほどまで極秘に計画された "戦争" は、歴史上ほかに類を見ないと断言できます。

具体的に何がおこなわれたかというと…

1910年11月、ネルソン・オルドリッジ上院議員は、ニュージャージー鉄道駅に鉄道車両を手配しました。 

そして、彼と、後述する他の6人が、・一緒に居るところを見られてはならない、・一緒に来てはならない、そして、・その晩は一緒に食事をしてはならない…という条件でそれに乗り込み、島へと移動しました。

なぜなら当時は、ニューヨークとの間を往来する有名人の写真を撮ったり、インタビューしたりするために、新聞記者らがニュージャージー駅にたむろしていたからです。

新聞記者を避ける目的で、ひとりは大きな黒いケースに散弾銃を入れて持参し、記者と対面した際「鴨猟に行く」と言い訳をしました。彼の子孫や伝記作家の伝聞によると、おもしろいことに、実は彼は銃を所有しておらず、わざわざ散弾銃を人から借りて持っていったそうです。

そして、オルドリッチ議員の車両に乗った時も、彼らはお互いのファーストネームは呼んでも、ラストネームは口にせず、さらにそのうちの二人は、念のために互いをコードネームで呼び合うことまでしていました。それは、この7人を見た使用人たちに身元をバラされないようにするためであったことが、後に判明しました。そんなことになれば噂が広まり、会議が台無しになってしまうからです。

なので、島に到着し、列車を降り、フェリーで海峡を渡ってクラブハウスに行ったときは、いつもの使用人を全員、彼らのことを知らない新人に入れ替えました。

FRB (連邦準備制度)は、このような予防措置をとった秘密主義の条件の中で作られたのです。

そして、彼らがニューヨークに戻り ウォール街へと姿を消したその後も、彼らはその会議が開催されたことを、しばらくのあいだ否定していました。のちに情報が漏れた時も、彼らは「会議には行ったが、狩りやポーカーをしたり、美味い酒を飲んでいただけだ」と言って誤魔化しました。

FRBが確立し、それが “アメリカの偉大な制度”として人々に認知され、尊敬を受けるようになって初めて、彼らは、この会議に誰が参加して、なぜ秘密にしたのかなどについてを語り始めました。

現在それらについては、回顧録や自伝や、新聞記者とのインタビューなどがあるので、蔵書が充実した図書館に行けば、ジキル島でおこなわれたことの詳細がわかります。

1910年、ジキル島に密かに集まり、FRB (連邦準備制度)を作ったのは、以下の人たちです:

・ネルソン・オルドリッチ (上院議員/国家通貨委員会委員長)

・エイブラハム・アンドリュー (財務次官補/全国金融委員会の特別補佐官)

・ヘンリー・デイビッドソン (JPモルガン商会重役) 

・チャールズ・ノートン (JPモルガンのファースト・ナショナル・バンク・オブ・ニューヨーク頭取) 

・ベンジャミン・ストロング (JPモルガン商会の上官代理/のちのニューヨーク連邦準備銀行の初代総裁) 

・フランク・ヴァンダリップ (ナショナル・シティ・バンク・オブ・ニューヨーク頭取) 

・ポール・ウォーバーグ (当時の世界的な大富豪/ロスチャイルドの代理人/クーン・ローブ商会パートナー) 

(続く)

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