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僕のお弁当は届かなかった。
高校2年生の夏の朝、野球部の試合に向かうためユニフォームに着替え、大きな野球バッグにスパイクやグローブを詰め込んで準備をする。
あとはお弁当を入れたら準備完了...と思ったらお弁当がない。いつも早起きの母親がまだ寝ていた。
「お母さんちょっと体調悪いから、お弁当あとで作って持っていくね」
「はーい!」
家を出ていつも通り野球部のグラウンドに向かった。
午前中の試合が終わってお腹も空き、母親の姿を探したがどこにもいない。
すると先生が血相を変えて駆け寄ってきた。
「佐藤!お母さんが病院に運ばれたから今すぐ病院へ行け!」
突然の言葉に頭が真っ白になりかけたが父兄さんの車に乗り慌てて病院へ向かった。
病院に着くと、母親は意識を失ってICU(集中治療室)に入っていた。
病名はくも膜下出血。
グラウンドにお弁当を届ける前にママ友とカフェに行きお喋りをしていたところ、急に意識を失って倒れたらしい。
考えたくもない色々なことが頭をよぎってしまう。もしものことがあったらどうしよう、ご飯はどうすればいいんだろう、兄妹はどうすればいいんだろう。
しかし3日後に母親は意識を回復し、一般病棟に移ることができた。
一時はどうなることかと思ったが、本当に良かったと心から思った。
そして一般病棟に移ってから4日後、
お母さんは死んだ。
安定したと思われた容態は一時的なものだった。
僕はその後の数日間の記憶がほとんどない。
兄や妹が毎日泣きじゃくっていたことだけは覚えているが、僕は涙も出なかった。
母の死から7年。
今もまだ心のどこかに雲がかかっているし、自分に何かできたんじゃないかと考えることもある。
でも母親はもういないし、過ぎたことを悔やんでもしょうがない。
母親が生きていることがどれほど幸せか。
母親が笑顔でいてくれることがどれほど幸せか。
大切なものは失ってから気づくと言いますが、失ってからでは遅いんです。
だから僕は、今を生きている家族の力になりたい。
お母さんが当たり前に笑って生きていけるように、家族が当たり前に団欒を過ごせるように。
必要なのは生きていること、そして心身が健康であること。
僕はママ専門セラピストとして、日本中のお母さんが健康で笑顔で生きていくお手伝いをする。
天国にいるお母さんが喜んでくれるように、
僕は前を向いて生きる。
最後まで読んでいただき
ありがとうございます😊
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ママ専門セラピスト 佐藤 翼
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