見出し画像

ママ美容師のお悩み。私がママになって美容師として働いた時のおはなし。その1【ママ美容師ゆうこ】

こんにちは。
このnoteをひらいてくれてありがとうございます。
私についてはこちらをご覧ください!

今回は実際に私がママ美容師になったとき困った事をお話しします。

次からは他のママ美容師のみなさんから寄せられたお悩みについても書いていこうと思います。
みんなそれぞれ環境が違うから、お悩みも人それぞれです。
でもやっぱりママならではの共通のお悩みもありますよね。

ママになって美容師に復帰した方や、これから復帰するのを躊躇している方や、結婚してママになるのを躊躇している方などの参考になればいいなって思います。

ボリューム的な問題と私の眠気スイッチの関係で、今日は解決方法までは書けないですが、順に更新していくので待っていて下さいね!笑

さて、ママ美容師さんで困っている事。
その中で一番大変なのはやはり乳幼児のママさんなんじゃないかなぁとおもいます。

さらにアシスタントのママ美容師さんはレッスンの問題が大変。
スタイリストに関してはお客さまを担当すると言う責任の面で大変苦労するのではないかと思います。

これをいま読んでくれている方もママ美容師さんでしょうか?
あなたは今一番どんなことがたいへんですか?

それでは本題に移ります。私がママになった時からお話しします。

私がママになったのはアシスタント1年目でした。

画像1

まだ結婚もしておらず、俗に言う「授かり婚」でした。
夜な夜な、店長に連絡をして自宅まで報告に行きました。
女性の店長だったのですが、すごく優しく受け入れてくれました。
今思うとすごく恵まれていましたね、人間関係最高のサロンだったと今でも思います。
ですが、当時産休制度と言うものがなく、ママの先輩もいなかったのでやめざるを得なかったんです。それは悔しかったですね。
妊娠が分かってからもわたしはいつも通りアシスタント作業をせっせとこなしました。
サイドシャンプーも普通にしてましたね。
夜清掃の床拭きもしてました。
妊娠6か月まで働いたのですが、最後の方になるとずっと立っているのがつらい日が増えて(貧血っぽくなってしまい)バックルームで休んだりする事も増えました。
でも嫌な事言われたりすることは一切なかったです。
朝がつらい日も多かったので、急に休んだりする事も多かったです。
でも許してくれた事、今考えると本当に迷惑をかけてしまったなぁとおもいます。
本当に感謝しています。
その頃の同期や先輩も、今でも気にかけてくれていて、素敵なサロンに就職してよかったとつくづく思います。

丸一年働いたのち、専業主婦になりました。
元美容師なのにお金を節約したくて化粧もろくにしない日々。
スーパーに買い物いくのもジーパン、パーカー、髪もセットなんてしないで結ぶか帽子!
久々に同期と遊んだら、「なんでそんな感じになっちゃったのー?」ってびっくりされるほどの廃れっぷりでした。

そんな私も美容師に戻るのは心の中で決めていました。
子供が歩くのを見届けたら戻る。
そんなこんなで一歳半から保育園へ預けて近所のおばちゃん美容室でパートアシスタントとして働き始めました。

なれない環境で母子ともにヘトヘト。


預け始めてすぐの時は何より息子の夜泣きが辛かったですね。
私も久々に美容の仕事をするので毎日必死でした。
夜泣きで全然寝てくれなくて近所にどう思われてるかも不安で。
抱っこ紐で抱っこして深夜2時とか3時に外歩きにいって私も一緒に泣いて。
それでも泣き止まなければ車のチャイルドシートに踏ん反り返って泣き叫ぶ息子をガチャーンと固定して深夜ドライブ。
これが奥の手でした。泣かれても運転に集中して、泣き声に負けないくらいガンガンに音楽かけて。
車に乗れば絶対にねるけど、ちゃんと熟睡する前におろしたらまた起きてしまうので、長い長い一人のドライブしながら悲しくなって泣く。
よく泣いてましたね私は。泣き虫です。
ほんっとに辛かったですこの時期。
環境の変化が大きくて、息子も昼間の刺激が強いのが原因で夜泣きするようになったのか、ちょうど成長の過程でそういう時期に重なったのかはわからないのですが。
精神的な疲れと、寝不足と、自分自身の仕事のプレッシャーですごいことになってましたね。

パートでアシスタント。基本カラー塗布とシャンプーのみ。

個人店で、客層は私の母くらいの方から、もう少し上の層でした。
基本的にグレイカラーの塗布。あとはシャンプーの毎日でした。
練習会なんてありませんでした。でも店長にお願いして友達を呼んできてカラーモデルをした事もありましたが、なにせファッションカラーするお客様がほぼ来店されないので技術が生きる事はなかったんですよ。
自分がやりたいことと、サロンの客層が当時あっていなかった。
でも、私はそこでしか学べないことにフォーカスして吸収することにしました。
マニキュア塗りなどはかなり今でも役立っていますね。
当時練習できない環境だったけどそこまで不満が無かったのは、戻れるなんて思っていなかった美容師の仕事をできるだけで嬉しかったからというのと、暇でもなんでもきっちり働かせてもらえたので稼げた。というところが大きかったかなと思います。
先生は元気にしてるかなぁ。私の本当のおばあちゃんなんじゃないかってくらいいつも優しくしてくれました。
本当に感謝しています。

引っ越してまたいちからサロンさがし

さいたま市から上尾市に引越しをして、また職場を探しました。
なかなか見つからずにやっと入れたサロンは夫婦経営のサロン。

毛髪科学大好きな店長と、ほんわかした雰囲気の優しい奥さんと、同世代の女性スタッフ2人がいて、客層もファミリー層。
マッサージをすごくしっかりやるお店で私もたくさん練習しました。
前の美容室よりは客層が幅広くてたくさん技術に関われたような気がします。
でもやっぱり練習会には出られなかったので、カラー、矯正、シャンプーのみ。
ブローの練習を空いてる時間でやらせてもらったりもしたけど、そこはタイムカードを切ってからです。
予約が午前しか入っていなければ、ごめん今日は11時で上がってくれるー?ごめんねーなんて事も。
とうとう保育料すら稼げなくなってしまいました。
スタッフの皆さんすごくやさしくていい人達だったので、私もお店のためになりたいと思っていて早上がりの日も残ってPOP作ってみたり、毛髪科学の新情報とかを店長に報告したり、尽くしてましたね。
やっぱり、なかなか雇ってもらえない立場で拾ってもらえたというのがありがたくて、稼げないから辞めてやるなんて思わなかったです。
でも、3.11の震災が起きてお客さまがぱったり来なくなった時期に急に回顧されてしまいました。
電話で言われて、泣きながらたくさん話をしてみました。
でも「え、もめたいの?」って言われて、もう何も言えずに辞めることに。
これも、キツかったですね。
美容師はもう、無理か・・・ってその時初めて夢を諦めかけました。

今日はここまで!

話し始めたら結構長くなったので今回はここまでにします。
またすぐに続きを書きますね。


誰かの参考になったら嬉しいです!
更新までこのnoteをフォローしてお待ち下さい。

では!

続きはこちら。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?