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食べる免罪符

ちょうどいいがわかりません。
ちょうどいいがわからないし、足りないのがこわいのでつい過剰になってしまうんです。
あ、食事の話です。

昼は職場の近くのスーパーやコンビニで買って自席で食べてるんですが、40歳になってもなお、じぶんのちょうどいいがわからず、信じられないくらい頻繁に買いすぎて「…おぇっぷ」となっている。もういらない、気持ち悪い…と思いながら昼休憩を終えたあと、午後のパフォーマンスがしばらく死ぬほど低い。
なぜわたしはこんな過ちを毎日毎日繰り返してしまうんだろう。涙を堪えてもう全くおいしいと思えないどら焼きを砂を噛むように咀嚼しながら、わたしは思いました。ていうかデザートいる?
食い気味のファイナルアンサーで「いらん」が採択され、デザートを買うのをやめた。自分を癒す目的で買っていたデザートにわたしを癒すパワーがないどころか余計なストレスになっていたなんて…

それでもなお、わたしの腹が満たされすぎる事態がたびたび起こったのです。ランチのトモであるBTSのバラエティ番組を見ながら感情を殺してサラダを口に運ぶ作業を繰り返しながら、ある日ふと自問しました。ていうかサラダいる?
いやしかしこれを食い気味に「いらん」と結論づけることはためらわれるよね。だって野菜は食べた方がいいに決まってんだから。野菜を食べないことはもはや罪。そしてそう、野菜は免罪符。世の中にはちょっとした小鉢の野菜惣菜が溢れ、水にさらされすぎてもう繊維でしかないようなサラダが売られ、「南無阿弥陀と唱えるだけで極楽に行けるよ」というかのように野菜ジュースで手頃に地獄行きを免れるよと誘惑してきます。だいたい野菜を食べないことによる地獄ってなんなんだろう。デブな自分か、不健康な自分か。罪滅ぼしのために食べている野菜をやめたら、わたしはどうなってしまうんだろう。
罪滅ぼしの野菜を食べる人と食べない人でどう差が出るのが誰か研究してほしい。

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