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風化した思い出を直す場所

誰しも、思い出の場所というものはあると思う。例えば、卒業した学校だったり、恋人との初めてのデートの場所だったりするのだけど、その中には家族との思い出の場所というものも存在すると思う。今回は私の、家族との思い出の場所について書きたいと思う。

家族との思い出の場所と一言でいっても、そこには数多くのものがあるのだが、私にとって一番思い出深い場所は、小さな水族館で、新潟県の寺泊にある水族館だと思う。正直に言うと、古くて小さく地元の水族館といった感じ。東京の「マクセル アクアパーク品川」みたいにプロジェクションマッピングを用いた近代的な展示やイルカショーをしているわけでもなければ、愛知県の「名古屋港水族館」みたいに特徴的な展示方法をしているわけでもない。都会の大きな水族館が遊園地みたいに人を童心に返してくれる場所であるのに対して、この寺泊水族博物館はデパートの屋上にある子どもの遊び場みたいなものだ。

そんな寺泊水族博物館だが、この水族館が私にとってはなによりも家族の思い出の場所といえるところだ。両親が共働きだった私は、小さいころはおばあちゃん子で、小学校が休みの日にはよくおばあちゃんに遊びに連れて行ってもらった。遊びにいくといっても、私が住んでいたところは田舎で、子どもの遊び場といえば、近くのショッピングモールにあるゲームセンターとか、近所の少し広い公園だったのだけど、おばあちゃんはよく私をこの水族館に連れて行ってくれた。寺泊は家から遠くて車で1時間くらいかかるので、私は車に乗るとすぐに眠ってしまい、起きたら水族館についてたなんてことが毎回だったと思う。水族館には電気ウナギがいて、一定時間ごとに放電していて、二人でウナギが放電するのをずっと見ていたり、イルカショーや飼育員さんの餌やりを見ていたりしていた。寺泊水族博物館は小さかったが、子どもにとっては十分大きな水族館で、一日中水族館を見て回って、帰りにはアイスを買ってもらったりしてた。

そんな子ども時代だったからか、今でも旅行に行くときにはその地域の水族館に自然と足が向いてしまう程に、水族館が好きだし、寺泊水族博物館にも自分で車を運転していくことが多々ある。

そんな幼少期を一緒に過ごしていたおばあちゃんとは、7年前の両親の離婚をきっかけに、今では一緒に暮らしてなく、連絡も取ってない。正直、現在ではおばあちゃんの顔や声の記憶はもうかなり曖昧で、ほとんどわからなくなってしまったのだが、それでも水族館に行く度に、小さいころはおばあちゃんとよく水族館に行っていたことを思いだしてしまう。

記憶や思い出というものは、案外脆くて、風が岩を砂に変えてしまうように、年月の経過で風化してしまう。これは避けようのない事実で、ひどく悲しいことだけど、その一方で、自分にとっての思い出の場所というのは、風化して砂になりかけた思い出を、かき集めて1つに直すような、そんな役割を果たすのかもしれない。忘れかけた思い出を復元してくれるような役割を果たすかもしれない。

辛いことや悲しいこと、人生の岐路に立たされた時、生きていく上で様々な問題に直面する時というのは存在するけども、そんなときにこそ、自分にとっての思い出の場所に立ち寄ってみることもいいんじゃないかなと思う。

貴方にとって思い出の場所はどこか、そんなことを考えてみる時間も大切なんじゃないかなと思う。

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