いつかの8月31日、不安だった私へ


さて、今日は何を書こうかな


ようやっとインストールしたnoteアプリを開くと

#8月31日の夜に

というタグがあった。
なんでも、夏休みが明けることに不安を抱く10代の子たちによりそうような文章を集めるためのタグ、なんだそうで。

そういえば
私にも不安でたまらなかった8月31日があったな

と思い出したので、今日はその話を書こう。



私は、義務教育の途中、夏休み真っ只中に引っ越しをした。幼少期から育った首都圏から地方へ。忘れもしない、8月31日は引っ越し先での初登校日前日だった。

すでに登校以前から不安と戸惑いの連続だった。
テレビのチャンネルは押した番号が映らず、映ったら映ったで見たことのない番組が放送されている。ミンミンゼミは鳴いていないし、出先で聞こえる話し声は何を言っているのかイマイチ分からない。スーパーへ行けば馴染みのあるお菓子を見かけず、逆に見慣れないアイスが目に付く。私の目に見える狭い世界は、すっかり変わってしまった。

そこへきて、8月31日、私の目の前には様変わりした「用意されたものたち」が広がっていた。制服はブレザーからセーラー服となり、教科書はすっかりとっかえ、しっかり遠くなった校舎への通学用に工場で使うようなヘルメットまで。
不安にならないわけがないよね。それでも頑張って、次の日学校に行ったんだよ。名前の書かれた黒板の前で必死に立ったんだよ。私はちゃんとやり遂げたんだよ。ほんと頑張ったエライ。


でもね




結論から言ってしまうと
私は結局なじめなかった。


喜怒哀楽の表現が元来薄かったからかもしれない。方言を使うのが気恥ずかしかったからかもしれない。結局未だに原因はわからずだけど、今思えばおそらく「都会から来た気取った子」という認定をされた?ようで。私はクラスや部活の一員として認識もされず、挨拶してもらえないどころか陰で笑われた。誰がなんと言おうと、あれはイジメだった。たとえ軽くとも。

その軽いイジメは半年ぐらいで終わったけれど、心に残った傷は自覚していたよりも深かったようで。ずいぶんと馴染めたように感じた瞬間もあったけれど、進学により関東に戻ることが決まってから、もうどうしようもなくハッキリと「馴染めなさ」を感じるようになった。当時はその「馴染めなさ」を言語化できなかったけれど、無自覚に心の奥底へ沈めていた「自分たちの常識・認識に合致しなければ容赦無く否定するような人たちなんだな」という認識が、関東出戻りをきっかけに浮かび上がってきただけなのかもしれない。

とはいえ、地方から首都圏・関東に出てきた人が逆に馴染めなかったお話も聞いたりするから、単純に合わなかっただけ、という可能性もあるかな。文化的に随分と違う部分も多いし。うーん、そっちの方が可能性高い気もする。



すっかりまとまりがなくなってしまったけど
あのときの私に一言言うとしたら
「頑張っても結局馴染めないからほどほどの距離で適当にやっとくといいよ、他にもっと自分に合う場所あるから受け入れてもらえなくても邪険にされてもあんま落ち込まないで」

かなあ。


古傷の成仏ついでに、誰かの気持ちが楽になればいいな。
なんてね。

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