【緋田はずみ】例え、夜に灼かれても

 こちらはJ.GARDEN51合わせの作品、オメガバースです。
 健気受けや不憫受けが大好物な私からすると、オメガバースという設定は寸分違わず自分の円のど真ん中に刺さってくるものなのです。だから、絶対外れないことは分かっている、と読む前からもう期待値が爆上がりしていました。そういう設定であるがために、だいたいストーリーが読めてしまう反面、安心感に包まれて読めるんですね。

 ところが、もくじの注意書きで王道ではないと判断できる要素が出てきます。『メインの攻め以外の男』ここでもう、スパダリが不憫で苦しむ受けを助ける話ではないと察することができます。(『性/暴力描写』には小躍りします。)では、どういうお話なのかというと、ベータの攻めが周囲の人達の力を借りつつ、オメガの受けを救い出す話なのです。

 底辺、貧乏、辛苦といった言葉を背景に置く時、それらをただ書いているだけでは人物の実体が浮かばないけれど、緋田さんの作品には五感に訴えてくる表現が多いと感じます。例えば、ヘドニズムというお店のあるスラム街の外観やどんな臭いなのか、そこに出入りする人達はどういう人達なのか、オメガであるマナト(受け)がお金に窮していることは分かるけど、千円ちょっとするお肉がのったお弁当を喉を詰まらせるようにして食べる表現で、より彼の状況が想像できます。しかも、おいしいものをお弁当をくれた丞一(攻め)と一緒に食べたい、と殊勝なことを言います。だから、もっと客を取ろう、と。
 それを聞いた丞一の気持ちを色々想像してしまいました。ここのページにたどり着く前にちゃんと二人の関係性は明らかにされているんですが、手酷く扱われても文句は言えないマナトと彼を助けたいけれど手は出せない店のボーイとしての丞一なので、この劣悪な状況で本当に救い出せるの? ってハラハラしながら読みました。

 丞一はベータであり、アルファの持つ力には敵わないし、そのあたりの悲しいまでの絶望感が随所に出てくるため、三分の二程度、読み進めても、まさか救えずに終わるのでは、という疑念が次から次へ湧いてきます。だけど、二人だけの世界で終わるのではなく、とりわけマナトが外へ助けを求める手段に出たことは、彼の何層にも重なっていた諦観の殻を破る行為でもあったと思います。そして、その原動力となったのは間違いなく丞一の存在だと気づかされます。

 スパダリが金と権力を使って不憫受けを助ける話も、もちろん大好きです。でも、こういう何もない、ただ相手のことを思って、もがいていく作品も素晴らしいと思います。思いの強さではどうにもならないことのほうが多いけれど、その思いの強さを見て誰かが動かされて、みたいなことは起こりうる話であり、ラストページに書かれている文章のとおりだと思います。
>断絶されていると思える向こう側は、思いもよらない光につながっている
 可能性だってあるのだ。
 名言です。重いテーマの作品ではあるけれど、オメガバース好きには読んでほしいし、不憫受け好きにはいちおしの文字書きさんです。
 
 長くなってしまった。一言で書けないけれど、緋田さんの作品は、染みいる幸福感という感じで終わるから好き。


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