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うみのそと、初心

これを書いているリアルタイムで、カンボジアに旅行しにきている。
本来の目的はタイで親と会うことだったが、学校がテスト期間と夏休みでまとまった、休暇をとれるため一人旅も組み込もうとなった。そこで以前からやってみたかった陸路国境越えを果たすべくタイからバスで行けるカンボジアを選択した。
実はこれが初めての海外1人旅。海外旅行にはアジア地域5か国ほど行ったことがあったが、ツアーで行くか友達の金魚のフン。どきどきだった。

ところが今海外に住んでいる自分からすると日常の延長戦で、違和感がない。ことに違和感。文字が読めないことは当たり前、現地の人と英語で話すのは当たり前、ひとり気ままにタクシーの誘いを振り切って長距離歩くのも当たり前、クレジットカードが使えないくらいのローカルレストランでハエを払いながらご飯をたべるのも当たり前。人と話すときのちょっとの勇気と、お店に入るときのちょっとの緊張も、当たり前。

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初めて海外に行ったのは大学1年生とき。
一緒に行った友達も初で「カイガイ」「ヒコウキ」「ナツヤスミ」なんて言葉にふわふわ浮いていた。駅の反対側にあるパスポートセンターに友達と自転車で向かう。用紙に必要事項を書いて、持ってきた必要書類を何度も確認する。もう息を整えたはずなのに鼓動がはやかった。
HISのプランで予約してたどり着いたのは台湾。現地のバスツアーも予約していたので効率よく観光地をまわった。英語を話さなくても問題なく旅行がすすむ。現地の人と話すのが怖かった。自分の口から出た英語を人に聞かれるのが怖かった。まったく話せなかった。旅行からの帰り道、「英語適当でも通じるんだなってちょっと自信ついた」って言った農学部の友達の言葉を今でも覚えている。

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わたしは国際関係の学部だった。入学時点で海外経験が一度もない人は少なかったし、行ったことがなくても英語が堪能な人はたくさんいた。英語が堪能じゃなくてもパワフル、コミュ力の塊、個性、で補っていた。わたしには全部なかった。大学生時代の人間関係のほとんどはバレーボールで染まった。学部は狭く浅い関係の人が多かった。
それでも仲良くしてくれる友達ができた。なぜかこんなにも普通な自分を「オモロい」と言ってちょっかいをかけてくれる子がいた。その子つながりで同郷の子とシンパシーができた。前者とは一緒にタイに、後者とはマレーシアに。フンとなってしがみついて連れて行ってもらった。

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先に書いたように、カンボジアに来る前にタイで親と会った。
タイはトランジットを除くと大学生以来2回目だった。が、そのときに行ったところを全く覚えていなかった。電車に乗って、なんか見覚えがある、駅を降りて、なんか見覚えがある。親と合流して、観光地をまわる。そーいえばトュクトュク乗ったことあるかも。そーいえば、海に行ったからパタヤだったのかも。ほとんど入っていない引き出しをあけ記憶を探る。
道中まあまあな大きさのゴ〇をサンダルでつぶしたのに気にせず歩き続ける友達。初めて泊まったゲストハウス。どうしても衛生面が気になって屋台やローカルレストランで食べれなかった。生野菜もできるだけ避けた。バスか何かで相乗りになった男性たちと英語で話してて仲間外れの気持ちだった。直接店員と英語で話さないけれど意見は言った。
自分のくだらない恥(プライド)と臆病。

今回の旅のプランはすべて私が決めた。数十年ぶりで初めてのツアーじゃない海外旅行を経験する親は、私が行きたいところに言われるがままについてくる。数年前の自分を重ねる。
私はきれいだと思って入ったローカルレストラン、食べるの緊張してたな。生のエビをよろこんで食べるわたしを見て、挑戦してみたさと怖さで揺らいでたな。軽くでいいなら屋台のご飯でいいんじゃない?って言った時に「お母さん食べれないかも」って言われるまで衛生面心配しているの気づかなくてごめんね。私が英語で店員と話してちゃんと伝わってないとき、脇からNoNoて口挟んできたのうざがっちゃったな。空港のWifiのつなぎ方も満足にわからない機械音痴なのに来てくれてありがとう。

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知らない間にこんなに自分は強くなっていたんだと気づく。好んでローカルレストランを選んでいる。屋台はまだハードルがあるけれど、選択肢に入るくらいになった。日本語話すのと同じぐらい自然な気持ちで英語を話しだせている。前よりずっと軽やかに生きれている。こうなりたかった自分がいまここにいる。本当に海外に住んでよかった。自分のやってみたいを諦めなくてよかった。

好奇心に応えてあげられるだけの勇気を願わくばこれからも持ち続けて。

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