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完璧主義が顔を出す時

ご無沙汰でした!

最近ネットサーフィンしていたら、(最近死語かな、、)完了主義という言葉を目にし、今の自分に必要な情報だったので、備忘録として残そうと思う。

完璧主義から完了主義に移行していくと、行動量が上がるし、失敗は当たり前で傷ついたり凹むことが少なくなるんじゃないかということだ。

今まで、定期的に猛者のような完璧主義者に出くわすことがあった。
「すごいなぁ、尊敬するなぁ」と思うと同時に、恐怖心から、または不安心から完璧主義になっている方が多く、「生きづらそう」という感想を度々抱くことがあった。

自分自身、そうして恐怖や不安から完璧主義が顔を出す瞬間がある。
メンタルの調子が悪い時や、誰にも頼れない、自分でなんとかしなければと恐怖心に駆られている時に、完璧主義者の私が顔を出す。
そういう時は、大概「私は悪くないもん!」「やることはやってます!」みたいなアピールでそうしてしまう。
そこには、苦しさや責められたくない、どうしようもない、ここまでやったんだからいいよね?みたいな気持ちがあり、全然気持ちよくない。
そして、やったことに対して質問や指摘が入ると怒りがうわぁぁぁと湧き出すのだ。
やりたいことが出来ない、邪魔されると感じても同じく怒りが湧き出すのだ。

もっとスマートに生きたいと思うが、そう出来ない自分にも心底嫌気がさしている。

誰かに合わせて、自分を変化させてきた自分にとってここ数年は、自分の軸、自分の意見を聞いてあげることを目標にして過ごしているが、定期的に色を変え形を変えて、「それは、出来ません!」という現実がやってくるように感じている。
そう感じるのは、「自分の考えることを一番に叶えてはいけない」という、自分の人生に責任を取らずに誰かに流されてきた私を正当化したい私が、罪悪感も持たせているだけかもしれない。

冷静になって考えると、分かるのに。。
私に染み付いた奴隷魂が、オートマティクに罪悪感を抱く。

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少し話は脱線するが、先日ある先輩とお話しする機会があり、完了主義を目の当たりにした気がしたので、少し書いてみる。

その方をAさんとしよう。
Aさんは、側から見るとエリート街道まっしぐらと思えるようなお仕事をされてきた方で、もちろん努力とご苦労あっての今の人生ということは、大前提で、今の仕事については「自分は40点取れれば、上出来だと思っていたから気が楽だった」とお話ししてくれた。
謙遜もかなり含まれているが、本音もかなり含まれているのかな、と思った。
「結局、自分はテキトーなのだ」と話は締め括られると思いきや、それが子供に遺伝して子供たちはもっとテキトーだというだ(笑)
その子供たちも難関といわれる仕事に就き、プライベートもかなり充実しているようにお見受けする。

ほぉほぉなるほど。。。

言葉のまま受け止めてしまえば、それでよくそのエリート街道に進めましたね。となりそうだが、破天荒さと実直さが共存したAさんは、そうではなさそう。。
実際Aさん家族からAさんの破天荒さを聞いていたが、「えーそんなことって、、、」と思っていたが、旅行をご一緒した時に、破天荒エピソードを目撃してしまったので、まだまだ違う顔がありそうだからだ。

これは、私の仮説だがAさんは完了主義な人なのではないか?
目の前の課題が来たら、取組んでひとまずやってみる。
それを積み重ねてこられたのではないか?
という事が、浮かんだ。
残念ながら、ほかの方もいたのでそれ以上お話を深堀することはできなかったのだが、今度お会いする機会があったらお酒を持参しお話を深堀したい。
そうしたら、またNOTEに書こう!

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