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【連載旅小説】繭 #1

※作中では「ボスニア」と表記していますが、正しくはボスニア・ヘルツェゴビナです。ボスニアとヘルツェゴビナはエリアをも表していますが、作中では単純に長い国名を短く言う口語的な意味で使っています。

GWに、有給を付けて少し長めの休みが取れることになったので、僕は旧ユーゴスラビアの国々を周る旅をすることにした。

海外で生活したことのある義兄の遼太郎さんでさえ「お土産の想像もつかないな」と言った。
僕も特に深い意味はなく、なんとなく決めた行き先だった。

* * *

クロアチアのドブロヴニクからバスでボスニア・ヘルツェゴビナのモスタルという街に入った。

モスタルはスターリ・モストという橋が有名。事前に調べたところによると、負の世界遺産となっている。

1990年代、ユーゴスラビア紛争で民族内紛が勃発。
橋の東側がイスラム系民族、西側がカトリック系民族が多く住んでおり、民族対立が激化。橋は破壊された。

2004年に橋の復興工事が完了。現在もイスラム系民族とカトリック系民族の共存する街となっている。その証拠に、モスクからアザーンが聞こえたかと思えば、反対側からは教会の鐘が鳴り響く。

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この感覚は、そうあちこちで感じられるものではない。

僕は風光明媚で観光客もいっぱいのドブロヴニクからこのモスタルに入って、ここも観光客が多かったが、街の雰囲気が一変して、複雑な事情を抱える旧ユーゴスラビアを陸路移動して良かったと思った(もちろんドブロヴニクも紛争の跡は生々しく残っているのだが)。

早朝から移動していたので、そろそろ落ち着いてランチを食べようと、橋を渡ってしばらく良さそげな店を探して歩いていた。
観光のメインストリートから少し外れたところがいいなと思いながら、キョロキョロ歩いていたところ。

ふと、ある女性に目が止まる。

アジア人が海外に出れば、たいていどこの国の人か、見分けがつくと思う。僕はその時、咄嗟に彼女を「日本人だ」と思った。

ここモスタルも中国からと思しき観光客はたくさんいたが、その人は一人で歩いていたし、何より目を見たら、わかる。

こんなところで日本人に出会った珍しさでしばらく見つめてしまったせいか、彼女と目が合った。

彼女も僕を見て一瞬 ”おやっ?” というような顔をした。
しかしその後すぐに、口を結んで顔を背けた。

ここは男として、声をかけるべきだと思った(僕にはもうしばらく彼女がいない…)。

近寄って声をかけた。
「Excuse me. Are you Japanese?」

彼女ははっきりとした声で「はい」と答えた。

僕は頬を緩めたが、彼女は警戒心を込めた冷たい視線を変えなかった。

「あ、いや。僕、一人旅でここ来たんだけど、まさか日本の人と出くわすなんて思ってなかったから、つい声かけちゃいまして…」

彼女は僕を足元から頭のてっぺんまでジロリと見たかと思うと「確かに、そうですね」と素っ気なく言った。

「あなたも、一人旅ですか?」
僕はくじけず、話しかけた。

「そうです。あなたはもう、サラエヴォに行きました?」

思いかげず質問きた!
僕は「まだなんです。この後向かう予定です!」と元気いっぱいに答えた。

「私、ジェノサイドを研究していて」

彼女は唐突にそう言った。瞳は冷ややかなままだ。

僕は一瞬、ジェノサイドという、普段そうは聞かない言葉を聞き、それが観光客で賑わうお土産物通りと、彼女の視線の強さのギャップが返ってマッチした気がして、惹かれた。

「なんか、もっと話聞いてみたいな。良かったら一緒に飯でもどうですか? 僕、朝ドブロヴニクから移動してきて、まともに食べてないから腹減っちゃって」

後で考えれば、旅先で短時間でこんなにグイグイくる奴にはドン引きするだろう、普通は。

しかし、彼女は意外にもOKしてくれた。

* * *

彼女にリードされて、観光客で賑わうレストランへ入った。
広いテラス席があり、気候的にもちょうど良かった。

僕たちは地ビールを頼んで、とりあえずはじめまして、の乾杯をした。

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「あ、僕の名前は高橋春彦って言います。東京から来ました。30歳の社会人です」
「私は佐々木真結まゆと言います。私も東京から。28歳。社会人だけど、夜間の院に通っていて、そこで旧ユーゴスラビアのジェノサイドを研究してます」

真っ直ぐな瞳の彼女は言った。

短めのボブは、僕の姉さんを彷彿とさせた。
姉さんが義兄さんと国際遠距離恋愛していた頃、プレゼントしてもらったピアスがよく見えるようにバッサリと髪を切って、その髪型に "潔さ" を感じていて、その印象が彼女の中にもあったから。

真っ黒で、風にサラサラとなびいていた。

「あの…どうして…ジェノサイドを? って訊いてもいいですか?」

「旧ユーゴスラビアの内紛は、民族紛争なのはご存知ですか?」
「え、えぇ…あまり詳しくは知らないですが…」
「ボスニアは、宗教の異なる夫婦が多くいたんです。ムスリムとクリスチャンというような。でも紛争でそういった家族たちも苦しみました」

僕は正直、あまりその辺りの歴史に詳しくなく、更に重たい話になりそうだったので、ちょっと黙ってしまった。

「こんな晴れた日の爽やかなテラス席で、ビール飲みながら話す内容でもないですね」

そんな僕を察したのか、彼女はちょっと小馬鹿にしたように言った。

「色々聞きたいって言い出したのは僕だし、大丈夫ですよ」
「そんなの口実なのでは? ただ食事に誘いたかったのでは?」

強い彼女の物言いに驚き、怖気づいてしまった。
そんな僕の様子を察したのか、彼女は「ごめんなさい」とすぐに謝った。

「もうちょっと普通の話からしていきましょうか。お仕事はどんなことを? 東京では一人暮らしですか?」

彼女は矢継ぎ早に質問をしてきた。料理も同時に運ばれてきた。

「じゃ、まずは食べましょうか」

僕はその提案には素直に従った。

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* * *

真結さんは学生の頃からバックパッカーで、47ヶ国以上旅をしてきているらしい。
僕は舌を巻いた。どこの国が一番良かったか訊くと、"旅としては" 意外にも ルーマニアだという。

「面白い国なんですよルーマニアって。地理的には東欧に属してるのに言語はラテン語族だし。1990年の東欧革命時では唯一、血の流れた革命になって。行ってみると古き良き田舎って感じと、社会主義に翻弄された首都ブカレストのギャップとか。ご飯も美味しいんですよ。ミティティっていう肉料理…ここボスニアでもチェヴァプチチって似た料理があるんですけど…今日来たばかりだからまだ知らないですよね。中東欧から中東でよく見るひき肉を使った料理ですけど、すごく美味しいです。ビールと合う」

「真結さんはビール好きなんだ」
「そうですね。日本でも海外でも、よく飲みます。春彦さんは?」
「僕も好き。ワインも日本酒も、何でも好き」

そう言うと真結さんはようやく少しだけ笑ってくれた。

「ルーマニアにしてもここボスニアにしても、真結さんは革命とか紛争とか、そういったものに関心があるんですね」

「そうですね…。私達若い日本人の若者って、そういったものからものすごい遠いところにいると思いませんか? 戦敗国と言っても終戦からもう80年近くたって、親の世代だって体験者として語ることはない。でも東欧革命やユーゴスラビア紛争なんてたかだか30年…春彦さんがちょうど生まれた頃辺りじゃないですか。そんな最近まで、砲弾が雨のように降る日常で暮らす人達がいて、そして今、こんな風に日本人が旅することが出来るまで、街は一応の安泰を取り戻している…。完全にではありませんけれど。
そんな国がたどった過程に関心があるんです」

「それっていわゆる復興の…人々の持つパワー、みたいなものですか?」

「そうかもしれません。そういうところにも魅力を感じているのかもしれないです」

僕も何カ国か旅をしたことがあるけれど、そんなことを考えたことはなかったので、少し恥ずかしくなった。

食事をしていると、足元にいつの間にか数匹の猫がいた。

「わ、猫がいる。かわいいなぁ。僕も猫飼ってるんですよ。ロドリーグって名前で」
「ロドリーグ、呼びにくい名前ですね…。じゃあ、今は家にぼっちですか?」
「姉夫婦の家に預けてます。数日家を空けるような時はいつも預かってもらってます。あは、そういえば義兄は ”ロドリゲス” って呼ぶなぁ」

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「私には兄がいますけど、兄もバックパッカーで…家にはほとんどいませんね」
「今でもですか?」
「はい、今でも。どこかで野垂れ死にしているかもしれないです」

どこか遠い目をして言った彼女の表情が印象的だった。

「春彦さんは、この後サラエヴォっておっしゃってましたよね」

不意に尋ねられ、そうです、と答える。

「私もです。夕方のバスで」
「あ、僕もそんな感じで考えてました」
「じゃあきっと、バスで会うかもですね。モスタルはまだ観てないところあるので、この後は一人でちょっと歩いてきます」

僕は一緒に周りましょう、と言いかけて、やめた。

「じゃ、会えたらバスターミナルで」





#2 へつづく

[参考資料]
スタリ・モスト

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