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【短編】狂った一日

7月8日。
思えば狂った一日だった。


そもそも僕が電車に乗る事自体が最近は珍しくなりつつもあったが、それがしかもトラブル収拾のために客先に向かう、という名目だったから、尚更イレギュラーだった。
上司は僕のコミュ障(それは発達障がいに起因し、性格のためではない)を理解してくれているので、最寄駅で営業系の社員を待たせてくれており、そこで落ち合って2人で向うことになっていた。
そして普段全く乗り慣れない路線。通勤ラッシュ時間を避けられたのが幸いだった。

雨だった天気予報は外れ、車窓から太陽が眩しく照りつけている。
最近天気予報は当たらない。雨が降ると聞いていたのに、実際こんな風にいい感じに晴れる。降る降る詐欺か。

僕は乗客の顔を観察する。
向かいのサラリーマン、やる気なさそう。蒸し暑いもんな。サボりかな。
隣のJK2人組。おいおいこの時間学校どうした。こっちもサボりか?

「ちょっと、これ」

突然その隣のJKがスマホを見ながら声を挙げる。
そのまた隣にいる友人と思しきJKが覗き込む。

「え。やばくない?」

チラリと覗き込む。『速報』の文字が見える。僕も自分のスマホを開く。

『A元首相、銃で撃たれる』

「え」

僕も思わず声を挙げる。
何? 銃?
僕の身体に震撼が走る。


銃。
僕は銃で人を撃ったことがある。
その時の腕の衝撃が生々しく甦る。


ニュース動画は同じセリフを繰り返す。
こんな重大事件、情報は錯綜するしどれが正しいかもよく精査できないのだろう。
アナウンサーも動揺が隠しきれず、言葉が途切れたりする。

顔を上げると皆スマホの画面を覗き込んで深刻な顔を浮かべている。同じニュースに直面しているのだろう。

僕はSNSアプリを開いてキーワード検索した。
こちらは少ない情報しか流れてこないニュースから逞しい想像力を働かせたつぶやきで溢れ出していた。

とりあえず、大変なことが起こっている。

その時。

「わぁーーーっ!!!」

隣の車両から、血相を変えた人たちがなだれ込んでくる。
咄嗟に元首相を撃った狙撃手スナイパーが車内で銃で撃ち放っているのかと脳が混乱する。

「ちょっと、何事?」

電車は急停車した。マジかよ。

前の車両から駆け込んできた人は「やばいやつがいる」と言いながら更に後ろの車両へ駆けていった。
同じ車両にいた人たちも意味もわからずつられて後方車両になだれ込んでいく。

何がどうなってるんだ? これから客先に行くんだぞ?

僕はその前方車両から日本刀を振りかざす奴が現れるか、それとも火炎瓶が投げ込まれるか、謎の液体を撒き散らされるかと思ったが、特に何も起こらない。

「なんか大声で騒ぐ人がいたみたい」

車両に残った乗客がそう話しているのが聞こえてくる。向かいに座っていたやる気のなさそげだったサラリーマンじゃないか。意外と度胸が座っているんだな。
それにしても先の事件のニュースでおかしくなった奴でも出たか。

『ただいま緊急停車しております。乗客の皆様にはご迷惑をおかけしております…』

特に何の情報もないアナウンスが流れる。

「あ、もしもし。熊谷です。今電車が止まってしまいまして…もしかしたら時間通りに着かないかもしれないんですよ。…えぇ、はい。え、そうなんですか? あ、見ましたよネットで。大変なことになってますね…」

僕は待ち合わせをしている営業の先輩に電話をかけたが、彼が乗っている電車も人身事故で遅延しているという。


なんか…おかしいな今日は。
僕が乗っている車両は凶悪犯がなだれ込んでくるわけでもない。

手持ち無沙汰で仕方なくスマホを見るしかないが、もうネットもSNSも元首相の襲撃事件のことで持ちきりだ。動画も多くアップされ始めている。

銃撃の瞬間の動画も。
驚くほど至近距離。爆弾爆発か? と思うような爆音、煙。
銃というより砲弾でも放ったかのような。

僕は途端に吐き気を覚える。
全身で拒絶反応を起こしているようだった。

そして次の車内アナウンス。

『○号車に不審人物との連絡があります。乗客の皆様、車外に避難してください』

これで再び乗客は騒ぎ出す。
やめてくれよ、もう…。

手動でドアがこじ開けられ、みな線路に降りていく。
こんなこと、人生でそう経験しないぞ。
それも、こんな日に。

照りつける太陽で余計に吐き気が増幅される。
僕はどっちに行ったらいいんだ?

戸惑っていると背後から「駅はあっちの方向ですよ!」と僕の背中を押す人がいた。
それは僕が目指すべき場所なのか?

ふらりと目眩。
さっき見た、元首相が撃たれる瞬間の映像。近づく犯人の姿が僕と重なる。
僕の手元に銃を撃った衝撃が甦る。

「うわぁっ! やめてくれぇ!」

僕は頭を抱えうずくまる。背後から来た中年の女性が「大丈夫ですか?」と声をかける。

大丈夫じゃないよ。
ただでさえイレギュラーな日なのに。なんでこんなことになる?
何の前触れだ。世界の終わりか?

「ちょっと歩けば駅ですよ。歩けますか?」

女性は続ける。僕は手を振り「僕のことはお構いなく」と言った。
心配そうに女性は僕をしばらく見つめたが、やがて諦めて駅の方へ去っていった。

「兄ちゃん…」

震える手で電話をかけようとするが、震えすぎて操作が何も出来ない。

「兄ちゃん…た、たす、助けて…」

僕はいつも兄に頼っていた。何でもかんでも。ずっと兄しか頼れる人がいなかったから。
しかし兄は今ドイツにいる。でもこの時は時差のことなんて何も考えられなかった。

そこへメッセージを受け取る。
妻の香弥子だ。

隆次さん、今日、小田急線に乗っていますよね? 今ニュースで乗客トラブルで止まっているって見て。大丈夫ですか? 影響受けていませんか?

影響も何も、該当車に乗っていたわけなんだが。
僕は文字が打てず通話ボタンを押した。妻も仕事中のはずだが、すぐに出てくれた。

「大丈夫じゃないんです。その電車なんです僕が乗っていたのは。銃も…僕、銃を撃ってしまって…。兄に電話を掛けたいけど指がうまく動かないんです。香弥子さんから兄に連絡して、僕に電話してもらうように伝えてもらえませんか?」

電話の向こうでは息を呑む声が聞こえた。

『銃…ニュース観たんですね。私も昼休みに会社で観てショック受けました。隆次さんは銃を撃っていませんよ。今はそのニュースは観ないで、家で一緒にその件について話しましょう。今は観てはダメです』
「撃ってるんですよ僕は。兄しか知らないことなんです。お願いです、兄に連絡取ってください」
『…わかりました。連絡してみますね。隆次さん、今まだ車内ですか?』
「どこにいるかわからないです…」

妻は『そのままそこにいてください。すぐ連絡しますから』と言って電話を切った。

頬にぽつっと水滴があたる。

見上げた空はピッタリ半分に黒い雲、半分にギラリと太陽。
その雲から雨粒が落ちてきていた。
轟音も響く。雷と気づくまでは砲弾か銃声と勘違いした。

僕は頭を抱えてただそこにじっとしている。
早く、連絡くれよ。兄ちゃん。

身体は重いような、魂が抜け出てしまったような、よくわからない感覚だった。
雷雨に濡れても身体が動かなかった。

「もしもし、大丈夫ですか?」

僕の肩を叩く。顔を上げると駅員のようだった。僕は何も答えられない。
駅員は2人いて、僕を両側から抱き起こすとそのまま歩き出す。

駅の救護室に運び込まれ身体を横たえた。
駅は騒々しい。構内アナウンスが壁の向こうで響いている。

「救急車、呼びますか?」

駅員は言う。

「救急車? どうしてですか?」

聞けば妻が、僕がトラブルの該当車両に乗っていると知ると、僕が障がいを持っていて、事件と事故によってパニックになっているので助けて欲しい、と駅に連絡したそうだ。
そうして僕の元に駅員がやって来たというわけだ。

「救急車…いりません」

僕は駅を出た。
さっき、本当に雨が降ったか? と思うほどの快晴。道路は既に乾き始めていた。
駅のロータリーも混沌としていた。誰もが戸惑い、恐れているように見えた。


今日。これは現実なのか。
今日。これは歴史に刻まれる一日なのか。


手にしたスマホが鳴る。

『隆次さん? 駅にたどり着けました?』
「香弥子さん…」
『迎えに行きますから、一緒に帰りましょう』

子供か、と思う。

「一人で帰れます」
『でも電車、動いていないでしょう?』
「タクシーで帰ればいいですし」
『遠いじゃないですか。お一人だとまた途中で具合が悪くなるかもしれませんよ』

妻は僕の良き理解者だ。
まさか兄以外でそんな理解者が現れるなんて、誰が予想したか。誰もしない。

「本当に大丈夫です。香弥子さん、仕事に戻って」

妻は『何かあればすぐ連絡を』と言って電話を切った。
兄には連絡してくれてないのかな。してないんだろうな。
すれば僕がまた甘えだして余計に混乱することも、妻はわかっている。

手が震えて兄に連絡ができなかったことも、妻からは連絡を受け取り会話が出来たことも、あるべき正しい状態だ。

結局僕は妻に連絡をし、やはり迎えに来てくれ、と伝えた。妻も会社に事情を話し、営業の車で向かっている最中とのことだった。
いつも冷静で先回りがすごい。

近くの店に入って待とうとすると、店のTVがNHKのニュースを流していた。
撃たれる直前、白煙が上がるシーンでストップモーション、を繰り返している。
こんな白昼、大衆の前で、演説中に、なぜ。なぜ。なぜ。

TVから顔を背けた。

別に僕は政治に強い関心も特定の政党に入れ込んでいるわけでも何でもないのに、怒りなのか悲しみなのかわからない感情が渦巻く。

胸に空けた穴を通る風が僕の首元を冷やしていく気がした。


僕は目を閉じ、妻の到着を待った。

狂った一日にいち早くピリオドを打ってくれる、妻という日常の存在を、じっと待つ。


僕は日常がなければ生きていけない。






END


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