見出し画像

風の時代のコミュニケーションについての考察 2021.8.2

先日「竜とそばかすの姫」を見てきた
1回目、近所の普通の映画館
2回目、その映画館の中でも音がいいと言われる部屋
3回目、池袋のINAX!
同じ映画を
一番音が良くて映像がいいというところでみたい!
ということになって家族で出かけた。
で、IMAX
めちゃ!いいです!!
 
聞こえなかった音が聞こえて
見えなかった色が見えて
風景も違ったり
リズムまで違って見えた!
同じ映画なのに
伝える刺激が細かければ細かいほど
すごいんだなぁって。
閾値が下がったって感覚です
 

ある庭のフクロウ

さてそんな映画も
SNSの中での評価っていうのを見ると
いろいろ
どの方向性から見るのかによって
違いが生じるのだろうけど
もしかしたら評価するっていうの
風の時代には必要ないかなって思う
 
自称水先案内人の話を聞いて
その世界へ行きたいって
昔は思ったのだけど
その人の感覚
本当にそうなの?って思ったりする

人の感覚は
たぶん
その人生の体験値と重なるところがある
 


映画を作るために集まった
クリエイトする人たちの
風の時代の伝え方を探す
今の感覚
 
映画を見る
批評する人たちの
昔から変わらない
矛盾をアラ探しをしてる
言葉で制するような感覚
 
素人の私にはわからないけど
 
ただ感じることは
あの映画は3つの要素を邪魔せず
むしろそれぞれを引き立てるための
膨大な作業
つまり
一つだけを前に押し出してない
風の時代の作り方を
目指してるんじゃないかなって
 
映像の伝えたいこと
音楽の伝えたいこと
そして脚本で言葉が伝えること
3つの仕事が1つの世界を作り出してる
 

ビルと空

本当はそれぞれがもっと説明したいのに
なるべくそこを切り落として
一つの画像に収めてる
 
そこは日常と似てる
 
確かに最初は人物像がわからないから
説明が必要だけど
 
途中から
映像からわかること
音楽から理解できることがいっぱいある
 
ちょこっとシンフォニーみたいだ
 
評論家の人たちの指摘は
そこの説明も必要でしょ?なのだけど
 
物語の細かいところは
日常と同じ
言葉にしないところにある
 
生活の中で
いちいち説明してたら
「言い訳」になっちゃうし
「理屈っぽい」になっちゃう
 
だから態度や雰囲気で
人は相手の気持ちを理解できる
 
だからあの映画も
見る側へのコミュニケーション力を
使って理解する作品なんじゃないかな
 
「会いたい」
「離れ離れの君へ」
歌も、そこのところを
すごく深掘りしたのでは、と思う。
 

サンキャッチャーと空


そして
何度も見たくなる理由って
削ぎ落とした説明不足を
自分で探してるみたいな感じ
矛盾についても
どうしてかなって
自分で考えるみたいな感じ
 
俳句を味わうっていう感じに近いのかも
 
アニメーションは現実ではあり得ない
絵空事としたら
現実的でなくってもいいんじゃないかなぁ
そうだったらいいな的な
 
風の時代のコミュニケーションって
テレパシーを使うこと(笑)
 
「なんでわかっちゃうの?」
なんでもわかっちゃうの、になってるのかもしれない
 
言葉がなくても
わかっちゃう
矛盾があっても
それもそうである
 
そんなふうに感じたのでした(笑)
といっても忍くんのアバターが知りたかったという矛盾は
未だ解決せず。。。涙

たまに書くやつ
あ、説明しないとわかんないってところも
わかってくださいね

ややこしいです

2021.8.2
2024.9.3 再編集


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?