死にたかった私の過去
こんにちは!
働くママ専門カウンセラーの重森葵です!
こころを学んで10年・ハンドメイド講師を経て、現在はママを対象にカウンセラーをしています!
noteでは私、重森葵の日常や過去の体験から思い込みやマイルールを紐解いて、こころが楽になる幸せのヒントをお届けしています。
今日は私が20歳のころにうつ病になったお話をしたいなと思っています。
かれこれ17年前のお話です。
うつ病になった話と言うか、死にたかった時の話ですね。
なぜ、うつになったのかは、はっきり言って未だに分かりません。
きっと・・・と思い当たるところはたくさんありますが、それよりもどう乗り越えてきたのかが大切かなと思っています。
これを読んでくださる方のお役に立てたりするのじゃないかな?だったらいいなと思って書いています。
どんな状況だったかお話ししないと、ただの武勇伝?不幸自慢?みたいになるのも不本意なので赤裸々にお話していきますね。
簡単に言うとオーバーヒートを起こしたらこんな感覚かな?という感じで、頑張りすぎたというか、無理しすぎたのですよね。
こころの中で無理を重ねた。
こころを無視して。
こころをないものと扱っていた。
私のこころよりも、
他人の言うこと、反応、社会のルール、空気、暗黙のルールと言ったところに重点を置いて生きていました。
むしろ、自分のこころが邪魔だったんですよね。
なので自分が思うこと、感じることを無視しました。
そんなこんなで自分のキャパを超えて、もう疲れて、さらには感覚を失って「死にたい」となったわけです。
世間体を気にする祖母の元育ったので、誰にも秘密にしていました。
仮面をかぶって、つくろって「今まで通りの自分」「正しい自分」を演じることが出来てしまったんです。子供のころからの癖ですね。
友達の前でも、家族の前でも。
自分でもどれが本当の自分か分からなくなっていました。
でも、誰かといても目の前に分厚い壁のようなものを感じていたし、
一人になるとどうやって死のうかずっと考えていました。
手に取るもの一つずつ、これで死ねるかな?と考えていました。
トイレで一人になったりすると、ここで死のうかなと思っていました。
救いを求めて、心療内科を受診しました。
心療内科を受診したのは、睡眠薬を手に入れるためでした。
たくさんもらって、死にたいときに飲めるように。
求めていた救いって、生きるためのものではなかったのです。
本当に本当に死のうと思ったとき、
「死ねないな」と思ったのです。
「母を悲しませてはいけない」と思ったんですよね。
小さなころから、祖母から母を守ること、間に入ること、母を喜ばせること、母を少しでも楽にさせること、半分以上そのために生きていたのでは?と思うくらい私の人生の大部分は「母のため」でした。
それが呪いのように、私を死なせてくれなかった。
母には妹がいたのですが、若くして亡くなりました。
その時に初めて母が心から悲しむ姿を見たのです。
その光景を思い出して、死ぬことが出来ませんでした。
だけど今思うと、ほんの少し「生きたい」気持ちがあったから、この呪いを言い訳に死ぬのをやめたのかもしれないなと思います。
生きたいという言葉には出来なかったけれど、
今の自分が自分にとって「普通ではない」と感じていたのかもしれません。私は本当はもっとちゃんと生きられるとどこかで信じていたのかもしれません。
生きることは決まりました。
だけど、苦しいことに変わりはなかったのですよね。
だけど、だけれども、生きることは決まったから、今まで正しいと思って我慢して仲良くしていた私を否定する人と距離を置きました。
そのことでまた、否定されたけれど、もうそんなことはどうでもよくかんじていました。
そうやって小さく行動しているうちに、少しずつ、強いうつの症状はマシになっていきました。
自分のこころを感じるようになっていったのですよね。
しかし、それは「死にたい」に至る少し前に戻ったような感じでした。
つまり、いつまた死にたくなるのか分からない状態でした。
そんな時、5歳のころから飼っていた犬が亡くなりました。
夜通し介護した後、姉に代わってもらって私は眠りました。
起きて、また世話をしようと思ったら、私のかかとを噛むのです。
もう、噛むというほどの力はなかったけれど。
2.3分「ちょっと待ってね」と世話を終えると、
力を振り絞るように頭を上げて私の方を見ました。
それから横たわって、大きく息をして、息を引き取りました。
前足の脈が止まるのを時が止まったように、ただ見ることしかできませんでした。
私が彼の元へ行ってから5分もしない間の出来事でした。
こんな私をどれだけ痛い身体で辛い状況で待ってくれていたのだろうと思うと、ことばになりませんでした。
こんな私では・・・このままでは・・・
上手く言葉になりませんが、
私はこの愛を受け取るのにふさわしい生き方をしたいと思いました。
ただ、生きるしかなかった私が、生きる意味を見つけた出来事でした。
彼を看取ることがなければ、また死ぬという選択肢は何度も私の中で出てきただろうと、これだけはハッキリと感じています。
辛かった時期は、いつも重たい霧に包まれている感覚だったのですが、
色々な経験や学びや気づき、人との出会いを繰り返して
どんどん霧は小さくなり、こころにしこりとしてしまっておけるようになりました。
時々しこりが痛んで、死ぬのもいいな、このまま消えることが出来たら楽だなと感じることは何度もありました。
ありました。と今は過去形にできるのですが、
うつをすっきりと克服したなと感じるのはほんの半年前くらいなのです。
うつだと気づいてから17年。
こころの重たいしこりがなくなったとはっきり感じられたのはそのころです。
何か決定的な出来事があったわけではなく、
色々な思い込みが複雑に絡まって病気になったように
時間をかけて少しずつ緩めて、ほどけて、なくなっていったのですよね。
とはいえ、私の中で気質とかそういうものまで消えて変わってしまったわけではないので、ついうっかり自分のこころを無視してしまわないように気を付けています。
死にたかった私が伝えたいことがあります。
死にたい人を止めることは出来ないに等しいということです。
死にたくなる前に何かできたかもしれない!と思うかもしれません。
でも、本人は気づかれたくなかった。精一杯だった。
誰かに頼るためには、頼る自分を許さなければいけない。
それが死ぬことよりも私は難しかった。できなかった。
「甘えていいんだ、頼ったり頼られたりするから人は幸せを感じるんだ。」
それを普段から、死にたくなる前のもっともっと前から、
言葉でも態度でも大切な人たちに伝えていくことが出来たらいいな。と私は思っています。
人に頼ることが普通にできる、いい思い込みがこころのベースに備わっていたらいいなと思います。
この話が何の役に立つのか分かりません。
でも、あのころの私に「あなたは一人じゃない」と伝えられるかもしれない。だったらいいな。と思います。
こんな話を最後まで読んでいただきありがとうございました。
それではまた~!
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