今私の願い事が叶うならば

診断書が欲しい。正直もうどんなものでもいい。体の状態を正しく診た結果であればなおいい。容赦が欲しい。

高校生の頃から時々考えるようになった。私の将来を明るく見積もった両親は、私を田舎の中学校から首都圏の高校にやることにした。高校生に一人暮らしはさせられまい。会社を動かせない父親を残して、母と引っ越してきたのが今から6年前。
高校生の娘のために世帯を分ける、という溺愛っぷりである。当然、期待されるものは大きい。官僚でも弁護士でも何にでもなればいいさ。実際に掛けられた言葉であったかは判然としないが、おおむね私が感じ取っていた、認識していたのはそのようなスタンスであった。
金も手間も惜しまない金の卵育成計画、父曰く私が望んだらしいのだけれど、こんな大それたことを言い出せる関係性だったかは甚だ疑問である。高校受験の前から「気づけばそういうことになっている」状態で、自分が何と言って上京をねだったのかがどうしても思い出せない。
ともかく、高校生の紺野には多大なプレッシャーがかかっていた。これで東大に入れなかったら事だ(実際入れていないけれど)。しかしそんなことは高校一年生の私にはむずかしかった。加えて悲しいかな、私には努力の習慣がなかった。格段に難易度の上がった五科に対応できず、成績は落ちていった。この過程に言葉を尽くすと、どこかで見たことのある文言になってしまう。スタートダッシュを決めてライバルに差をつけよう! 勉強も恋も絶好調!
そんなわけで、最初は使わない約束だった予備校にも通わせてもらい、じわじわと受験期に突入する頃には少し成績も持ち直した。ここで問題になってくるのは志望校。二世帯でかさむ生活費に兄弟の学費もあるなか、予備校でふんだんに金を使っている受験生がどこか妥協した大学、特に学費の高い私立で許されるわけがない。

金だ金だとうるさい文章になってしまっている。今ないしこれから子育てをする方々へ、自分じゃどうしようもない金の話は子どもにとってかなり重いことをお伝えしておきますね。自分に年間いくら消えているのか、親の年収と併せて計算することはかなりつらい。

私の成績は多少上向いてきたといってもまだまだ凡庸で、結局最後まで志望校には絶望的な水準のまま受験を終えた。記念受験と洒落込んで臨んだ第一志望も、本気で信じてくれていた両親には申し訳ないくらいの見事な不合格だった。自分でも不思議と悔しかったらしく、少しだけ泣いた。親不孝を覚悟で私立に入学金を振り込んだのち、受かるつもりのなかった後期入試で思いがけず合格をくれた公立に滑り込み、今に至る。

今ならこうして過去を振り返って書ける事も、高校生だったその時点では何も保証されていない未来だった。志望校を変えるか否か、そもそもどこであれば受かるのか、もう一年伸びたりしたら耐えられない、予備校の課題が終わらない、学校の授業もわからない、次こそは下のクラスに落ちるんだろう、来る講習の費用をまとめたくない、次の模試でもどうせ、エトセトラ、エトセトラ。そらがきれいだなあ。様々な時間帯の、主に校舎から撮った空の写真がやたらと増えた。食欲も落ちたし、物思いに沈んで浴槽から動けなくなったりもした。毎回のようにスクールカウンセラーの予約を取ったのに、話したいことのメモはどんどん増えた。カウンセラーのアドバイスで始めた日記はなんだかんだで今も続いている。

ここで生まれたのが「診断書が欲しい」。私にはそこまで目をかけてもらうほどの価値はありません、期待には応えられません、ごめんなさい、とドロップアウトしたくても、もとはと言えば私のために無理を通してくれているわけだから、両親は私を責めていい。こんなにも金をかけてもらって、やっぱり無理ですと投げ出した時の両親の怒りに触れたくない。しかし、私の勝手な都合でないならば。
心か体を壊してしまえば、ドクターストップがかかれば、これはもう誰も悪くない。私も責められず、仕方ないよね、とみんなで次善を探ることができる。むしろそんなになるまで頑張った私は余分に評価されるのでは? そこまで至らなくても、とにかく穏便に逃げられる。

たったこれだけのこと。「おこられたくない! せめられたくない! もうやだ!」を小賢しくすると「診断書が欲しい」になる。読む人が読めば特定もできそうな遍歴をわざわざ書き並べてまで吐露したかったことは、このごく単純な一言に尽きる。

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