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線路は続くよどこまでも−鉄道パラダイス—


本日は、ご乗車頂き誠にありがとうございます。終点まで脱線は最小限に運行してゆくつもりですので、宜しくお願い致します。

思えば、子供の頃から電車が好きでした。宝物は祖父や父が買い与えてくれたカツミの鉄道模型。実家の近くにある三鷹電車区跨線橋から、夕日を浴びながら電車を眺めるのが好きでした。そんな鉄道趣味も大人になるに従って忘れてしまいましたが、初心を思い出させてくれたのは、ロンドン・ビジネス・スクールへの留学でした。ロンドンが世界のマネーセンターであるとすれば、イギリスは世界の鉄道発祥の地、聖地巡礼の機会を得た訳です。

スチーム(蒸気機関車)
ロンドンを一歩出ると緑豊かな丘陵が続いています。手軽なレジャーとして家族と良くピクニックに出かけました。そんな折出会ったのがロンドンの南にあるブルーベル鉄道です。

ご多分に漏れず、戦後のイギリスでも自動車の普及で鉄道は斜陽となり、廃線が相次ぎました。それを有志が力を合わせてトラストを造り、線路を買い取り、スクラップとなる運命だった蒸気機関車を買い集め、ボランティア主体で保存し運営する保存鉄道運動が広がりました。ブルーベル鉄道はその嚆矢で、今ではイギリス全国に100カ所を超える保存鉄道があると言われています。

これにはハマりました。汽笛とドラフトの音、煙の匂い、機関車トーマスと仲間達の様な赤青緑と色とりどりに塗られたオールドタイマー達。留学とその後の派遣合わせて9年間のロンドン時代に、北はスコットランドから南はデヴォンまで30カ所以上は訪ねたでしょうか。

クライマックスは私の40歳の誕生日。家族にねだって一日機関士体験コースに参加しました。蒸気機関車の構造を学び石炭のくべ方を練習し、いざ乗車。プロの手ほどきを受けながら本物の蒸気機関車を運転できました。私にとってはロンドン時代で一番楽しかった休日です。ただ沿線で日長ピクニックを強いられた家族には、ロンドン時代で一番つまらなかった休日だったと今でも言われます。

ブルーベル鉄道の週末

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駅シリーズ(Facebook)
2012年の春、初めてiPadを買いFacebookを始めました。じきに自分で撮った鉄道写真をアップする様になりました。以来、出張や旅行の途中で立ち寄った国内外の駅の写真を撮ってはウンチクを加えて、アップすることを続けています。題して「駅シリーズ」。この原稿を書いている時点(注:2017年7月)で198号になっています。まだ現役で仕事をしているので「乗り鉄」や「撮り鉄」は無理、とすれば移動の途中に立ち寄れてすぐ撮れる駅舎ならば、と始めた次第です。

ルールは二つ、一つ目は串揚げのソースと同じで二度浸けなし、つまり同じ駅は再掲しないということ。但しどうしても紹介したい写真が撮れたときは、番外編として紹介しています。二つ目は、写真は一番気に入った一枚に限定。いつも選ぶのに苦労します。

駅シリーズ第1号は、2012年6月にアップしたロンドン・パディントン駅です。かつて独自の広軌(幅広の線路)で高速運転を実現したグレートウェスタン鉄道の終着駅は、巨大な天蓋とビクトリア調の装飾満載の鋳鉄構造物が、独特の雰囲気を醸しています。あの熊のパディントンがブラウン一家に拾われたのもこの駅です。

これまで訪れた駅の中で印象深い駅と言えば、日本国内では、なんといっても復元後の東京駅です。美しいドームを取り戻し、両翼を伸びやかに広げ、行幸通りに向かって広い広場が開けているのがいかにも良いです。次に挙げたいのが、東京駅の兄貴分とも言える南海電鉄・浜寺公園駅。残念ながら現在は高架線化工事のため解体保存中ですが、東京駅を設計した辰野金吾博士が東京駅の7年前に建てた木造洋館造りの駅舎です。2013年に訪れた当時は現役最古の木造駅舎として営業していました。最後に日本三大車窓の駅として知られる篠ノ井線・姥捨駅。鉄道ファンなら垂涎のスイッチバックの駅でもあるこの駅のホームからは善光寺平が一望に望め、月夜には眼下の千枚田に千の月が写ることで有名です。

海外では、前出のパディントン駅が一番。次いで愛着があるのが、東京駅の姉妹駅でもあるニューヨーク・グランドセントラル駅です。この十年程、JPモルガンそしてバンク・オブ・アメリカと米銀に勤めているので、ニューヨークに行く機会が増えました。ニューヨークに着いたその日に、グランドセントラル駅の大ホールで天井の星座を眺め、地下鉄博物館の売店でグッズを物色し、オイスターバーのカウンターで生牡蠣とチャウダー(ボストン風に限る)を白ワインで流し込むのが定番です。三つ目の駅は難しい。モスクワ地下鉄の宮殿駅は噂通りでしたし、命がけで訪れたサンパウロの中央駅も捨てがたい。ですが私たち夫婦が乗ったオリエント急行の始発駅、思い出のベニス・サンタルチア駅を挙げておきます。
 
夜のグランドセントラル駅

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オリエント急行
2014年始めに前職を辞め7月に再就職するまでの長い休日を利用して、オリエント急行の旅に出ました。ベニス発ってプラハで2日間過ごし、その後パリ経由ロンドンまでの4泊5日の旅です。鉄道には興味の無いワイフを説き伏せての乗車でしたが、結果的に2人にとって思いで深い旅になりました。

オリエント急行といっても、イスタンブールとパリを結ぶかつての定期便はもう運行されていません。観光用のクルーズ列車です。欧州鉄道文化の黄金時代と言われた1920年代に作られた豪華寝台車・食堂車などを当時の姿に復元して、当時の一流のサービスを再現するというのが売りです。

ベニス・サンタルチア駅で乗車して、まずは鉄チャンの私が感激。1920年代製造のワゴン・リ社の車両は、随所にマホガニーが使われ(トイレの便座まで!)、凝った調度品、アールヌーボー調のステンドグラス等々、正に走る美術品ですよ、これは。夕食は食堂車でフルコース。ドレスコードはブラック・タイといささか緊張しますが、素晴らしい料理とワインそしてサービスにすっかり幸せな気分になり、ワイフと二人ニッコリです。特にウエイターが秀逸。目配りに漏れがないだけでなく、幾つもの言語を操りながら満面の笑みでお客をもてなしてゆく姿は見事です。すっかり気持ちよくなって自室に戻ると、客室係がベットメーキングをしてくれていました。

翌朝列車の揺れが気になって目が覚めました。夜半にチェコに入っていたのです。線路の規格や整備状況で乗り心地が変わり国情が知れます。扉をノックする音、客室係のマルコが朝食を運んで来てくれました。淹れたてコーヒーにオレンジジュース、クロワッサンやバケット、フルーツサラダと簡単ですが、なんだかとても美味しい。車窓にはチェコの山間の景色が流れます。プラハでは列車とクルーを駅に留め置いて古都観光を楽しみました。

2日後同じ車両・同じクルーに迎えられ、一路パリそしてカレーへ。イギリスに渡ると、車両はブリティッシュ・プルマンに代わります。シャンパン・ランチでほろ酔い気分の中、ブラスバンドが迎えるロンドン・ビクトリア駅に到着しました。熟年ご夫婦の記念日に、是非お勧めしたい旅です。

そろそろ字数も尽きたようです。長らくのご乗車、ありがとうございました。

オリエント急行のクルー達

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(本稿は、2017年発行・正友会会報「正友」92号に寄稿した原稿に、ほんの少しだけ手を加えたものです)

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