見出し画像

"ハート"より大切なもの

ひとつ、またひとつと、スマホに赤い通知が届く。

気にしないようになんて思っている時点で、もうそれは十分気にしてしまっているわけで、指先ひとつで届くそのハートにいつの間にか僕等は、支配されてしまっている。そうやって、瞬時に届く自分への評価に、大切なものを忘れてしまっているのかもしれない。

書きたいけれど、何を書けばいいのかわからない。
そんな矛盾を抱え悶々としていた日々にようやく終わりが訪れた。まだ完全とは程遠いけれど、ようやく「自分の書きたいもの」がわかってきたような気がする。小説でも、自己啓発でも、エッセイでもない。けれどそれは、小説でもあり、自己啓発でもあり、エッセイでもある。つまりは、ジャンルなんてどうだっていい。

私がずっと書きたかった言葉は、自分や誰かのありふれた感情に寄り添い、そこに隠された「大切な想い」に気付くきっかけとなるような言葉。そして、それでも勇気が足りない人の背中をそっと押す、そんな言葉だ。

ずっと自分が何が書きたいのかを探してきた私にとって、ここまで言語化できたことは、世紀の大発見にも匹敵する。そんな昂る気持ちを抑えながら書いたのが昨日の記事。ついでにインスタグラムも更新した。


なのに、そこについたハートは…過去最低。


だから、今これを書く指は重い。
どう書けばいいのか、何を書けばいいのか、また振り出しに戻りそうになる。

SNSのおかげで、自分の想いを簡単に発信できるようになり、個人の想いがどんどん世の中を変えていっている。それ自体は本当に素敵な時代の変化だと思うし、私もいつかそこに行きたい。けれど、発信することの敷居が下がり、ハートによって、評価が瞬時に下されることが当たり前になった今、私たちはつい忘れそうになる。

「本当に大切にしたかったものって、ハートの数なんだろうか?」

ネット上であろうと、現実世界であろうと、自分の想いを認めてもらえるという経験は私たちに自信をくれる。けれど、全ての人が認めてくれるわけではないし、すぐに認めてもらえるとも限らない。そんなとき、たぶんハートの数は一瞬にして、凶器になる。そして、自分の想いを見失いそうになる。今の私みたいに。

たくさんのハートは確かに嬉しい。けれど、ハートの数に振り回されるよりも、自分が本当に大切にしたいことに胸を張り、それを「どうしたら大切にできるか」を考えていきたいと私は思う。たとえまた、ハートが少なかったとしても、これが書けたこと。まずはそれで十分だと思う。

いつか、自分が本当に納得できるものが書けるようになるその日まで、今度こそ走り続けてみようと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?