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大根の浅漬けの作り方

①大根を薄めのいちょう切りにする
②タレを作る。みりん、塩、醤油、料理酒、昆布出汁をお鍋で煮詰め、①を入れる。


タッパーに入れ3時間以上冷蔵庫で漬ける。

分量は1タッパーの大根に対して
みりん多め、
塩少し、
醤油多め、
料理酒少なめ、
出汁粉末は1人前。甘辛くなってたらいいと思う。
ってゆう味見をしながらいい塩梅に作って下はれ
浸透圧で、タレは薄まるので使い回しは出来ない

昆布出汁を出汁から作る場合は、
昆布を水から戻して2時間〜ひと晩置いておく。

アミノ酸を宿した植物


水から中火でゆっくり茹で、沸騰する直前で火を止める。昆布を取り出して(今度佃煮にする)、出汁をさらに煮詰めて濃縮する。
水分が多いと腐敗の原因になる為。

浅漬けなので、3日以内に食べきること
発酵(日持ち)させたければ沢庵が良いと思う。

何を基準に美味しい、素晴らしいと思うかって
経験とか環境によって構築されるものだけれど
レシピを作るにあたって、それに多大なる影響を受けてる。気がするんだ。

何故わたしは漬物を作るのかと考えてみると
懐かしい気持ちと憧れがあるからだと思う、
美味しいとも、体が欲しているとも思う。

お母さんが作ったきつねうどんが好きだったら
その人はその味を目指すのだろうし
はたまた、
インスタントのきつねうどんが好きだとしたら、そのきつねうどんを思い出して作るのだろう

編み物で言うと
おばあちゃんが昔作っていたものと同じ物を作ってみたり
プレゼントされた編み図の本の模倣をしてみたり

プロだとか流行りに敏感な方からすれば、インプットとアウトプットが同じなのは貧しい考え方なのかもしれない。

けれどアマチュアの私からすると、自分好みの
レシピを作れる様になるには、
レシピを真似る過程を経てパターンを覚えて作るのが基本になってくる。

でも面白い発想を生み出す、新しい物を作るには色々な分野の引き出しを持って結びつける事なのだと最近知った。

変わっていこうとする意識と、変えないようにする意識どちらが良いかは、いつも天使と悪魔の様に自分の中で葛藤を繰り広げている。

どちらも大事であって、そのバランスを保つために変わり続けるという、よく分からない話になってくる。笑

レシピが変わっていくのか、変わらん物を作り続けるのか、そんな事で誰かと対立したくないというのが本音で、そのどちらの判断も正常だと思う


どちらにせよ、自分の身体に入る食べ物、贈り物なのだから生半可な物は作れない。


なんとなく感じるのは、誰かと何か物を作るという事が大きな影響を受けるのでは無いかと。

今までは、自分が置かれてきた環境に目を向けていたけれど、誰かと何かを作るフェーズに飛び込んでみたら面白い概念が見つかるし、知識も広がるかもしれない。

情報過多な時代の流れに億劫になりつつも、
インプットの幅を広げようとする、自分の矛盾に
ああ。気がついてしまった気がするんだ。ああ。

Instagram、Twitter、Thread、色々なSNSを辞めても、noteを始めてしまった事がその現状である

懐かしい感覚に憧れて生きているのに、新しい物を作ろうとするのも、何だか面白い話だ。
多分どこかの誰かも、同じような事をしている
そんな事に嫉妬しながら、張り合って生きていくのはひねくれていて、面白いなと思っている。

本屋さんでパラパラとめくっていたのだけれど
滝沢カレンさんのレシピ本が、ゆるさがあって突っ込みどころが満載で面白かった。

これなら料理が楽しくなるぞお。
わたしも、見習いたい所だ。

全力で矛盾した部分を持った人間が面白みがあって、わたしは好きなのかもしれない

アンバランスな最近のわたしの人生の、指針になっているのは、レシピ本だとか音楽を通してのその人の生き方だと思う。

レシピとかその人が食べている物から、ルーツをたどるのは面白いし、音楽を聴きながらこれはこんな意味を込めて作ったのかなと空想したり、
バカになりながら聴いてみたりする。

とはいえ容量はそんなに大きくないので、何かを信じて何かを手放しながら、ふらふらしていこう

あーあ。くだらない、ただのデタラメなのさ。。
変わらないものを大事にしたいのだけれど
結局、変わっていってしまうんだ。
そんな寂しさを秘めつつ、上書きしながら新しいレシピを作るのを楽しんでいる。
大根ポリポリおいしいな♪

ボロボロと落ちてくる言葉たちは、置いておいてあんまり足し算ばかり考えるより、引く事も考えてみようとごちゃごちゃな頭の中を収めてみた。

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