J信用金庫 v.s. MBA交流クラブ vol. 20
『金は銀より上』
藤岡が信用金庫に就職して以来、ことある毎に聞かされてきた言葉だ。つまりは、信用金庫は銀行よりも上だという意味である。40~50代のロスジェネ世代は就職氷河期に銀行に就職することができず、しかたなく信用金庫に流れてきた人がほとんどであり、その劣等感からか特にこの言葉を好んで使う傾向があった。
2021年、東京オリンピックの熱狂とともに株式市場は盛り上がり、日経平均株価が三万円の大台を突破した。日本が27個の金メダルを獲得する中、銀行の株価は低迷を続け、業界全体の平均PBR(株価純資産倍率)は0.4倍、中にはPBR0.08倍という驚愕の市場評価を記録した地銀もあった。
PBR1倍以下というのは「今すぐ会社を解散したら、出資額以上のお金が株主に返ってくる」状態であり、「将来性なし」という烙印に他ならない。金利が上げられない中、預金と融資の利ざやで稼げなくなった銀行は手数料収入を柱とした投資信託や保険販売にシフトするも、手数料の引き下げ競争が激化する中、それらのビジネスモデルもすでに限界を迎えていた。
経営に苦しむ銀行と反して、信用金庫は着実に売り上げを伸ばしていた。大手銀行や地銀が融資先の開拓に苦戦する中、信用金庫をメインバンクとする企業は増加し、着実に取引先を増やしていた。
信用金庫の躍進に大きく貢献しているのが、足で稼ぐ営業だ。狭いエリアでの地道な営業活動は地域企業、自治体、商工会議所とのハブを形成し、ネットワークとブランド力という無形の価値を創出していた。
藤岡もまた、現場の営業として現場を一日中自転車で駆けまわり、預金の集金から高齢者の相談、中小企業の経営相談まで、毎日20~30件の訪問が当たり前となっていた。
コロナ禍において、業績悪化する企業は少なくない。銀行では金融庁の検査マニュアルの遵守が徹底されているため、「晴れた日に傘を貸し、雨の日に傘を取り上げる」という、いわゆる「貸し剥がし」が常態化しているが、藤岡は取引先が苦境に陥った時こそ、とことん寄り添い、経営の立て直しに尽力することで、顧客との信頼関係を構築していた。
Z世代である藤岡にとって、このような地元コミュニティーの発展こそが仕事のモチベーションであり、地銀とのシェアを奪い合うことに執心するロスジェネ世代の価値観とは根本から異なっていた。
しかし、このような現場での地道な努力は本部の人間には理解されないのが金融機関の常である。特にJ信用金庫ではその傾向は強かった。
つづく
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