見出し画像

かろうじて単語の中に閉じ込めた。究極の概念の。ばあちゃんが念入りに書いた。冷蔵庫の中の。


ソン・ウォンピョン著 矢島暁子訳『アーモンド』を読んで。


 リビングの机。ミックスナッツの入った丸い蓋付きのケース。蓋を開けて香りを嗅ぐ。先が尖った茶色い実をとって、ながめる。

こういう感じか。

不安や恐怖などの私たちが感じる感情は、このアーモンドによく似た扁桃体によって感じることができているらしい。医学的な知識が貧しいので、詳しいことはよくわからない。

 『アーモンド』は、その扁桃体が生まれつき小さく、失感情症と診断された少年が語り手である。感情を知らぬ「怪物」と呼ばれた少年が、巨大な感情を持つ「怪物」である少年と出会う物語。

 少年ユンジェから見た世界が、感情がないからこそか、瑞々しく美しい。母さんとばあちゃんがユンジェに与えたものが美しい。ゴニとユンジェが互いに何かを学び取ろうとする姿が美しい。シム博士とユンジェの対話がまぶしいほど透明で美しい。ユンジェがはじめて知る恋の、感情を用いない景色があまりにも美しい。

*****

 近年、心の在処について疑問を持っていた。

 脳の偏りは障がいによる特性で「性格」にはならないらしい。でも、薬で私たちのご機嫌は簡単にコントロールできてしまうらしい。気分が上向きにならないのも、そういう脳内ホルモンが出ていないだけらしい。じゃあ、結局、心ってなんだ?脳のはたらきが全てなのに、心はまた別のところにあるのか?

感情を知らぬ怪物もシム博士に同じ質問を投げかける。

「心じゃなくて、頭ですよね?何でも、頭の指示に従ってるだけなんですよね」「それはそうだけど、私たちは心って言うんだ」 (ソン・ウォンピョン著『アーモンド』p.198 第三部より)
「人の頭っていうのはみんなが思ってる以上におかしな奴なんだよ。それに私は今でも、心が頭を支配できると信じてるんだ。」 (ソン・ウォンピョン著『アーモンド』p.252 第四部より)

心の在処がわかったわけではないけれど。自分が今まで「悲しみ」「怒り」「憎しみ」…あらゆる感情で懇切丁寧にラッピングして、封印していた感情を開けてしまった。わからなかった「悲しみ」、わかってもらえなかった「怒り」、わかりあえなかった「憎しみ」、いろいろ混ざりあって「嫌い」。剥がしたくなかった。包んでいたそれらを剥がしていくと、そこにはちっぽけになった…………あー、そんなところに「友愛」なんてあったんだな。なんだかんだ自分、本当は誰とでも仲良く楽しく笑っていたかっただけなんだな。

感じられるのに、感じることをやめていた感情と記憶。勝手にこじ開けてしまって涙が溢れた。

それは脳の働きではなくて心であってほしい。心の在処がわかったわけではないけれど。なんだかそんな風に思っていたいな、と思った。

人間とは何か。

感情とは何か。

少年に問われるのは本の登場人物ばかりでなく、読み手の我々も。


「感じる」 (ソン・ウォンピョン著『アーモンド』p.248 第四部より)

それは、漢字一文字の。

かろうじて単語の中にとじこめた。

この記事が参加している募集

#読書感想文

189,831件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?