メタバースにイマイチピンと来ない理由をClubhouse流行時と比較して考える
メディアの熱量ほどメタバースに興味が沸かない理由
メタバースというキーワードが世の中を賑わせている。
メタバースとは何か?ということについて今回は語ろうとは思わないので、一応これについてまとめたサイトは貼り付けておこうと思う。
まぁ要するに実際の世界とは異なるネット上の仮想空間を使って色々と出来るようになるという話で、FacebookがMetaになったり早い人は既にこの波に乗っていたり、恐ろしいことにもうある程度レッドオーシャン化しているなんて話すら出ている。
え?私なんてまだそういうものがあるんだと思っているくらいのレベルなのに、もうタピオカ屋くらいの感覚でメタバースを見ている人すら居るらしい。
タピオカはいつなん時でも美味しいので世の中でブームでなくても私なんかは買ってしまうのだが、メタバースに関してはワードを聞いてもなんだか気乗りしない。
これは私が単純に歳を取って新しいものに手が伸びないというだけの話なのだろうか?老害化が始まってしまっているのだろうか?
そんなわけで、何故メタバースに興味が持てないかを少し考えてみよう。考えてみると同じようにメディアを騒がせていたClubhouseの時と私の食いつき方がまるで違うので比較して少し考えてみたい。
私の方で思いついたのはこんなところだ。
メタバースを周りで活用している人が居ない
Clubhouseの時は2021年1月終盤くらいからメディアでの取り上げられ方と私の友人の間での広がり方が異様に早かった。
SNSでもClubhouseの話題がやけに出ていて、多くの人が利用し始めていたというのがまず私の目を惹いたように思う。
しかもその熱量が非常に高く、Clubhouseを始めた人が興奮気味に面白さ、魅力を伝えようとしていることがよくわかった。更に言えば、周囲にも参加させようとする情熱があった。
メタバースについてはどうだろうか。
ニュースやメディアで紹介されることは非常に多いし、その何たるかについては概念として私も知ることにはなった。決して取り上げられる回数が少ないわけではないし、だからこそ興味は持っている。
ただ、周りでメタバースを実際に使っている人が居ないのである。
身近に熱量を伝える伝道師が居ない状況なので、いかに世の中を変える可能性があるプラットフォームだと喧伝されても自分から情報をつかみに行くまでには至らない。
結局ここから分かるのは、私はメディアよりは近い人物の言動に影響されているということである。
メタバースで何がしたいかよくわからない
これについてはClubhouseの時は非常にわかりやすかった。
何しろ有名人と普通にしゃべれるし、話が聞ける。今まで聞くことが出来なかったような話が閉じた空間で披露される。インスタライブやユーチューブの配信とは異なり、双方向の交流がより密になったということが革命的だった。
そんな使い方が出来るSNSは今まで無かったので「Clubhouse」という名前だけでなく我々自身も「これがしたい!」という動機づけが出来たということだ。
メタバースはどうだろうか。
率直に、仮想空間で何がしたい?
…
少なくとも今の私にはこれと言ってしたいことは無い。
バーチャルな空間で物が買える。バーチャルな空間で使える通貨がある。バーチャルな空間でアバターを使って行動できる。
…
で?
正直なところ、だからどうした?としか今のところは言いようがない。使ってみて楽しいイメージが湧かないのだ。
メディアがメタバースをごり押しているように見える
Clubhouseの時を考えると、あの時もかなりメディアが乗ってきていたことを思い出す。一時期本当にClubhouse一色だったような記憶もある。
ただ、楽しいものや魅力あるものがメディアで取り上げられるのは納得感があるので別に問題はない。価値があるから取り上げている。ただそれだけの話だ。
藤田ニコルや朝青龍と話せる何かが出来たらそりゃメディアも取り上げるだろう。
ただ、メタバースについては出来ることはある程度見えているし、すごい技術ではあると思うが、現状を見る限りではそれほど面白くもなければ今すぐ使いたいとも思えない。
そういうものをメディアがこぞって取り上げることに違和感を抱いているということだ。
そこまで魅力や実力があるとは思えないものに対して世間は厳しい。その違和感に対して我々は誰かの力が働いているのではないか?つまり、ごり押しではないかと邪推する。
そして我々世代はあの大コケした仮想空間「セカンドライフ」をどうしても思い出してしまう。あの時にダメだったじゃないかよ。何も出来ることなんてなかったじゃないかよ、と。
メタバース、まだいいや
とりあえず個人的に思うのは、メタバースで何か私の生活が変わる、楽しくなる、そして多くの人が参加して熱量あるものになるまではとりあえずいいかな、ということだ。
こういう流行は創造力とエネルギー溢れる人が集まってきて、それに釣られて若い人が集まって新しい楽しみ方が出来て、おじさんが入ってきて衰退するというのがmixiからの常である。
つまり、今のところ創造力とエネルギー溢れる人が新たな楽しみ方や価値を提示できずにいるように私には思えるのだ。
また朝青龍から「西尾くん!」と呼ばれるようなとんでもない革命が起きるまでは私はとりあえず様子見を決め込もうと思うのである。
次回予告:生徒から卒アル回収!?2003年の超ブラック学習塾の実態、お話します。
1980年生まれの私は恐らくブラック企業が横行していた最後の世代なのではないかと思う。
今となってはブラック企業が社会悪ということもありボーダーを超えるとニュースになってしまうが、私が新卒の頃に行っていたことは確かに常軌を逸していたと思う。
今ある環境が正常であることを認識するために、当時の異常さを振返ってみたいと思う。卒アルを生徒からせしめる会社が一部上場なんですよ。皆さん。
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