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高校の頃写真部に居た、信じがたい2歳上の同級生の話

週末に高校の頃の初めての友達の話をしました。


かなり思い出深い友人ではありましたが、何しろ23年全く連絡を取っていなかったということもあり、声も掛けずに彼が作る茶色い豚骨ラーメンを食すのみという「時間旅行」を楽しみました。



あれはなかなか面白いもので、言葉を交わさなくても23年が伝わるんですよ。


逆に言えば、言葉を交わすと微妙な部分が生まれる可能性があるんですよね。こっちの熱量とあちらの熱量との間に差があると、客の面前で気まずいことにもなりかねませんし、私みたいな根がシャイで後天的にコミュニケーションを覚えたクチの人間からすると室生犀星だったかな。「遠くにありて思ふもの」程度の感覚の方が気楽なんですよね。


考えてみると、私にとって高校時代って本当に記憶が薄まる一方なんです。


何度か触れていますが、私の高校は男子クラス、女子クラスのある世にも珍しい「男女別学」という形式を取っており、部活をしていないと男女交流が3年間皆無でした。故に私はこの閉塞感しかない学生生活のことを通称「少年院」と評していますが、まだ入学したての頃、陸上部でまだセピア色の青春が存在していた頃の学生生活は多少覚えているんです。


当時は男女交流がまだあって、稲中時代とは異なる世界が広がっていったことに対してテンションが上がっていたのだと思います。ポケットサイズのテトリスが流行っていたり、持っていてもまったく有効利用出来ていないポケベルにおはようメッセージを男同士で送ったり。


なお、腰を痛めて陸上部を辞めたあとは単なる懲役ですが、当時のことを帰りの電車の中で少し思い出しました。ああ、あんなことがあったなぁと。


あれは、私が高校に入りたての頃の話です。


後に評判の豚骨ラーメン屋を開業することになる彼と私は共にいることが多かったのですが、同じクラスには彼と同じ中学校から私の高校に進学した人がもう一人いました。


どちらかというと陰鬱な雰囲気を持った彼は、様々なところで特徴的なところがありました。


まず、飯をとにかくマズそうに食うのです。


家庭環境の都合からか、彼が手製の弁当を持ってくることはほぼ無く、2時間目が終わると同時に売店に行き、毎回のようにハンバーグ弁当を買ってくるのです。


そしてこの売店の弁当が軒並みボリュームが凄い上にマズそうなのですが、不思議と彼はそこは全く気にする様子もなく、高校生にしてはまぁまぁ高いワンコイン弁当を渋い顔をしながら胃袋に収めていくということを日課にしていました。


また、運動神経が抜群という訳ではないのですが、他の人が出来ない妙な動きが出来ることも彼の特徴でした。


体育の授業で体操種目を選択した時に、大体高校生の中でやりたがるのはバク転と相場が決まっており、フカフカのマットに向かってできもしないバク転を試みるのは中高生あるあるだと思うのですが、彼はバク転には目もくれません。


名称は不確かですが、バク転の前方バージョンである「前方倒立回転」というあまりカッコよくはない技が彼の得意技なのですが、彼が普通ではないのは一度これを決めた後で間髪入れずにあと2回決めるのです。

調べたらありました。
これこれ。

これが…

3回目くらいになると前への推進力が無くなるので、尺取虫が這いずっているような気持ち悪い動きになるのです。1回だったら普通なのですが、何故か彼は決まってこのムーブを繰り返して皆から笑われていました。


ただ、本人としては不本意だったようです。結構凄い動きが出来ているのに何故笑われているか理解できていなかったからです。


そんな訳で、奇妙な動きと奇妙なルーティンもあり、本来クラスの中心になるタイプではない彼が、1学期が始まって間もない頃にカルトな人気を誇った頃がありました。


彼と、そして仲の良かった友人たちは同じ部活に入ることになりました。

何故か、写真部でした。


あれだけ妙な動きが出来るのですから、運動部に入れば良いのにと私などは思いましたが、彼とその周囲は数人でそれほど人数が居ない部活に集団で入部します。


そして数日後、彼は昼休みに驚くようなことを話していました。


うちの学校、裏口入学してる奴がいる。

と。


最初は耳を疑いました。先輩から何か吹き込まれたのか、それとも自称裏口入学の誰かが居るのか、はたまた替え玉受験みたいなものがまかり通ってしまったということなのかはわかりませんが、とりあえず彼の話を聞いてみることにしました。


写真部には同じ1年生が他にも在籍しているのですが、どうやらその中の一人が2年留年しているようなのです。


私の高校は体操着が入った年度によって識別できるよう、色が異なります。1年生の中で一人だけ、どういう訳か3年生と同じ色のものを着ている人が居るそうなのです。


高校で2年留年とは。


1年留年する奴は確かに居ました。マリスミゼルが流行していた時に「これからは『和』だ」と主張し、着物バンドを組んだ友人が音楽に傾倒しすぎて留年したことはありましたが、そうそうあることではありません。


しかもそれが2年ですからね。

兄と同い年の同級生。

大学ならまだしも、高校でそれは衝撃です。


留年するほどスペックが低いのに何故入学できたか?という話になると、どうしても私立高校ですからそういう噂が流れます。


ちょっと不自然な状況ではありますが、まぁたまたま入試で通ってしまったんだろうくらいに思ってその場は笑ってやり過ごしていたのですが、どうも彼はちょっと変わっているようなのです。


写真部だと自分の撮った写真を作品として展示することがあるそうで、二年留年している彼も出品していたそうなのですが、これが少しおかしいというのです。


彼が撮ったのは、海に架かる橋。

タイトルが





「レイボーブッジ」





と書いてあるそうなのです。



・・・

待て待て待て。


まぁ誤記なのは分かる。

間違えて書くことはありうる。


しかし、これが10文字足らずのところで2か所となると話は別です。これ、相当器用な間違いですよ。先日お話ししたボビーオロゴンとかキテレツ大百科のブタゴリラ的なやつかな?と思いますが、本人は大真面目らしいんですね。


いや、さすがに。

これは。


これでも私の母校は当時偏差値60超えています。

どういうことなのか混乱する私に、彼は付け加えます。





しかもその写真、レインボーブリッジじゃないんだよね





もう何がなんだかわかりません。


こんなに分からないことってあまり経験したことがありません。レインボーブリッジじゃない何かをレインボーブリッジに見立てて架空の「レイボーブッジ」という別の何かを作り上げたという解釈をしましたが、それもまた変な話です。


目を白黒させる私に実は彼は在職中の先生の息子だとか、裏金は1人あたり200万円掛かるらしいとか、かなり具体的な話をし始めました。


何が事実で何が推測なのかよく分かりませんが、とりあえず事実だけを確定させると「写真部にはおかしな写真に対しておかしなタイトルを付ける2留の1年生が在籍している」というところまでは分かりました。


結局彼らは最初だけ写真部に在籍し、確かすぐ退部したと思いますが、高校に入りたての頃にいきなりこのような嘘か本当かよく分からない話がまことしやかにささやかれるととにかく驚きました。


高校ってこういうところなのか。


他の高校は知りませんが、とりあえず私の「少年院」はこんな場所であることが入学直後に判明することになりました。


彼が裏口入学だったのか、先生の息子だったのか、そうした事情が明るみに出ることは結局ありませんでした。そして私たちは写真部の2留の彼のことを思い出すことは無くなりました。


振返ると3年生と同じ色の体操着を着て体育を受けている同級生を見る機会はありませんでした。どこかで淘汰されたのかもしれません。


あれ、結局何だったのだろう。


胃もたれしながら帰りの電車の中で、42歳の私はそんなことを思い出したのでした。


■Voicyに新しい放送をアップしました


今回は「前向きな言葉の掛け方について」です。
言葉で助けられるときと助けられない時があるっていうことを少し考えていけたらいいなと思っています。


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