見出し画像

リスクある決断をする相手に否定ばかりしてはいけない理由

今日もVoicyで同じ内容についてお話ししています。

Noteでご覧の方はお気づきではないかもしれませんが、実はVoicyの方ではいただいたコメントについて読み上げる形で回答しております。最近はコメントが多いので本編に近いサイズになっているので、コメント返しも含めてお聞きいただけると嬉しいです。

小さな踏み出しはとりあえず応援しておこう

さて、4月ということもあり、新しいことを始めた方も多いと思います。

これが小さなこと、例えば勉強を始めた、趣味を始めたという程度のことであればおお、頑張ってくださいでいいと思うんです。ちょうど心機一転で踏み出すということなので、そこはもういいじゃないですか。

こういう小さいことって、小さいが故になかなか続かなくて、ちょっと忙しかったり疲れていたりすると、それを口実にどうも休みがちになっちゃうので、軌道に乗るまでは気持ちを強く、少し無理をしても続けることは優先した方がいいと思うんです。それくらいの方が成功しやすいですからね。

自分が一歩踏み出す立場であれば気が楽なところがある

ただ、今回ちょっとお話ししたいのは毛色が違っていて、「踏み出すあなたに」っていうテーマなんですよ。

つまり、より人生の岐路に立つような選択をする場合のことなんですね。

これね、すごく難しいと思ったんですよ。今まではどちらかというと自分が踏み出す側だったんですね。だから自分で色々と考えて、将来のこととか、自分の力量とか、向き不向きとか、トータルで捉えたうえで一歩踏み出してきました。

勇気は要るけど、それは自分のことなので本気で考えたし、自分に対して結果が降りかかってくることだったのでそれを受け止めて、良くも悪くも踏み出した後も闘うことができました。

ただ、私は最近、40を超えたので踏み出す人に対して声を掛ける側の立場になったんです。

周囲の立場で踏み出す人たちを評価するのは本当に難しい

周りの立場だと、誰かが踏み出す一歩を出したときの接し方って難しいなぁと思うんですよね。というのも、自分が正しいと思ったことを伝えるだけではいけないからです。

考えてみると、私が子供の頃って親や周囲の大人の正義に沿う形で自分の一歩ってある程度制御されていたように思うんです。つまりこれって、子供の意向って大人の意向に沿えるかどうか?ってことが大事になるってことじゃないですか。

賢明な子供であればあるほど大人の意向や嗜好を踏まえて自分をそこに合わせるっていう傾向はあったんじゃないかなと。まぁそういう時代でも自分を通して主張して、大人たちと衝突していくっていうことはありました。

周囲の立場だとこれって楽だったと思うんですよ。私だって自分の意向だけを正義として見て良いってことであれば悩みなんてしないですからね。

踏み出す一歩に対して周囲にも責任が発生する時代である

なんで昔と比べて踏み出す一歩に対してこんなに悩まなくちゃいけないか?って考えた時に、周囲としての責任に向き合わなきゃいけない時代に差し掛かってきているからだと思うんですね。

踏み出す人たちに対して、応援するのであればいいんですけど、踏み止まることや考えるように伝えるっていうのは、可能性を潰すことも考えられる訳で、その行為が今の世の中で大人の役割としてとがめられているように感じるんですよ。

多分ね、私が子供の頃っていうのはその人の可能性を周囲の大人が無自覚に、そして大人の正義で潰していたっていうことは結構あったはずなんですよ。何故なら当時大事だったのは大人の尺度であって、子供の意向の方ではなかったからです。

だから、踏み出す一歩に対して大人たちがどちらかというと今どうすればいいか?っていうことに対して正義が別れるところだと思うんですね。

ひたすら応援するのは、踏み出す側としては一番やりやすい

じゃあ、一歩踏み出そうとする人に対してどうするか?っていうと、一番簡単なのはひたすら応援することだとは思います。

踏み出す相手のことを尊重して、見守って、時にはお金を出す。
踏み出す側としてはそれが一番やりやすいとも思います。

ある意味、典型的なおじいちゃんおばあちゃんが孫を見守るのと同じことなんですよね、これって。信頼して、応援する。ポジティブな力を与えることになると思います。

よく聞く話ですからね。
誰も応援してくれなかったけど、おばあちゃんだけは味方だったみたいな話。

責任ある立場でだと、踏み出す人を応援するだけではいけない

ただ、おじいちゃんおばあちゃんは見守ればいい立場ではありますけど、親とかより近い人にとってはそこに責任も伴う訳です。

責任ある立場で果たして応援だけで良いか?というとそうもいかない。
だから難しいんですよ。

例えばね、今私は兼業でライターをしていますけど、責任の無い立場からアドバイスをいただくこともあって、それが結構無責任だったりするんです。本業がある中で書いていてもそれは守られている訳だから、良くない。今すぐ仕事を辞めてライターに専念しろ!みたいな。

それも一理あるかもしれませんけど、でも彼の言うことを聞いて仕事を辞めても、結局リスクを取るのは私なんですよ。

これは応援するっていうスタンスとは一線を画した例ですけど、一歩踏み出した人は全ての行動の責任を取らなくちゃいけない。周囲としてそれでいいのかは、単に応援するだけじゃなくて考えていかなきゃいけないとは思うんですね。

リスクの高い一歩を踏み出そうとしている時が難しい

周囲として特に考えるべきなのは、リスクの大きい一歩を踏み出そうとしている場合だと思うんです。

これは私が好きな話なんですけど、オードリーの春日さんがお笑い芸人を志そうとしたときに、お父さんから止められたらしいんです。

で、その理由が「俺はお前がしたことで一度も笑ったことが無い」からだったんですよ。これはねえ・・・さすがに止めますよね。逆にそこまではっきりしているのであれば、子供をいくら信頼していても、一言は言わないといけないですよ。だって、親ですら面白いと思ったことが無い人が、芸人として成功するっていうのは結びつかないですから。

もしそれを自覚していて、それでも特に何も言わずに応援しちゃったとして、それで後戻りできないところまで来たら周囲として何も言わなかったことを恐らく後悔することになっちゃうと思うんですよ。予期できたことですからね。

リスクある一歩を踏み出そうとする人にはどう接するべきか

でもね。
リスクある決断をしようとする人に対する声の掛け方ってこれもまた難しいんですよ。

リスクを自覚している分だけ、反対されると頑なになりがちだからです。

これはマズいという決断をする人に限って、反対する理由がどんなに理屈が通っていても、言葉が届かないことが多いんですよね。周囲が反対することによって自分の正義、自分の決断にすがってしまい、後戻りできないことになる。

故に、これはちょっとマズくないか?っていう一歩に舵を切っている場合こそ、単に否定だけをするのではなく、意向を汲み取りながらも自分の実力と競争率、そしてそこにかかるコストなどを棚卸にして、そのうえで感じていることを伝える。

とにかく、相手のためを想うというよりは自分のために反対するっていうことだけは避けなければいけないと思うんですね。

まとめ:ふみだすあなたに

さて、今日のまとめです。

自分が踏み出す時はリスクも、自分の実力も、様々なことをひっくるめて考えられるので決断することも責任を背負うことも簡単なんですけど、周囲の立場で一歩踏み出す人にどう接するか?っていうことは結構難しいと思います。

昔であれば周囲として自分の目線で意見を出せばよかったのですが、周囲の立場でその人の可能性を潰してはならないという論調も強いですし、実際そういうことが起きた時に周囲として気持ちの整理が難しいということもあります。

特に難しいのがリスクある一歩を踏み出そうとする時で、こういう時って強い言葉で否定しがちなんですけど、それをやると人って頑なになりがちで、どんどん意に沿わない方に向かって行くことになります。

だからこそ、一歩踏み出す相手に対してはその決断のリスクやその人の今の実力、そして可能性を同じ目線で考えていくことが大事になるのではないかと思います。

よろしければサポートお願いいたします! 皆様のために今後使わせていただきます!