「流行知らないおじさん」と「流行追いかけちゃうおじさん」はどっちがキモいのか

歳を重ねてみて気づいたことがあります。
それは、歳と共に変わらなければいけないということ。

いや。
これは結構普通のことなんですけど。

例えばね、着る服っていうのはその最たるものだったりするんですよね。

若い頃は着たい服と自分が比較的マッチしているということだったんですよ。まぁ流行の服を着られたら一番楽なんでしょうけど、自分があまり合わないこともあって、20歳くらいの頃に大体こんなのを着ておけばいいんだ、っていうラインが分かってきたんですよね。

で、30前半くらいまではそれでよかった。
でも、流石にそうもいかなくなってきた。

20代が着るものを人によってはおじさんと呼ぶ人が出てくる年齢で着るとなかなか合わなくなってくる。

そこに自分で気づけるかが結構大事なんですよね。この歳になってくると誰も指摘してくれないですから。

考えてみると母親も少し前にそんな趣旨のことを話していて、少し心のどこかでそれが残っていたんですよね。だから今の自分にマッチさせる形で少しずつ対応できるようになってきた。

だから、服装っていうのは今の自分は歳と共に変えられるようになってきたかなって思うところはあります。

で。
それは乗り越えたからいいんですけど。それと似たようなものに最近直面して、まだ答えが見つかっていないんですよ。

流行に対する向き合い方なんですよね。
これ本当に難しい。

っていうのもね、10代の子たちが知っているもの、群がっているものに対して一人のおじさんとして全く知らないって、これどうなんですかね?

今世の中の最前線にあるもののことを知らない。

2020年くらいからその傾向が本当に顕著になってきました。まぁ私があんまりトレンドとか追いかけるようなタイプじゃないっていうことがその最たる理由なんですけどね。

だから、十代の頃から別に私はトレンドなんて追いかけちゃいなかった。でも何となく知ってはいた。

でもそれが今はもう、追わなくても知る、っていうことすらなくなっちゃったんですよ。

このままでいいんだろうか?

っていうか、自分が若い頃にそういうおっさん見てえ!?まじかよって想いは多少なりとも持ってはいた訳です。

そして自分がいよいよそんなおっさんになってしまっていることを遂に自覚した。ってことなんすよね。

選択肢は2つですよ。
こっちからトレンドの情報を得に行くか。
今と同じスタンスのままか。

知識として多少持っておくくらいがバランスとしては丁度良くて、まるっきり知らないというよりはいいとは思うんです。

ひょっとしたらちょっとでも情報入れておくことによって自分が好む何かが出てくる可能性もありますからね。

ただ。
流行に寄っていくスタンスについて、なんですけど。

それはそれで、気持ち悪くないですか?

今世の中で流行っているものを全く知らないおじさんっていうのも、お前世の中の何を見てるの?っていう受け止め方をされる可能性もあります。

ただ、いい歳して流行とかチラチラ見やがってこっち来るんじゃねえよ、っていう見方をされてもそれはそれで分かるんですね。

つまりね。

行くも地獄
行かぬも地獄

やべえ
どうすりゃいいんだよ
完全に迷宮入りしちゃいましてね

でふと思ったのが、世の中の動向を知らない自分がどうか?っていうこと以上に大事なのは私自身がどう見られているか?っていうことなんですよね。

たぶん流行をしっているか知らないかなんていうのは、付帯的な情報なんですよ。

平たく言うと、
私自身がキモいかどうか?
でしかないのかなと。

それこそ少し無理して流行を追いかけるなんてことに「自分らしさ」なんてもんはどこにも無いんですよ。

どう見られようと知ったことではないし、その程度のことでキモいだの言ってくる人とはどうやっても分かり合えることなんてない訳で。

まぁたぶん、私の周りで将来的にこの点についてキモいって言ってくる可能性あるのは10歳の姪っ子だけなんですけどね。

もしそれを指摘されちゃったとしたらあーごめんごめん、他の部分もキモ買ったら言ってね、ってくらいの感覚でいなしてみようかなと思います。

で結局私が何を言いたかったかって、

おじさんになったら小さいことを気にしがち

ってこと!

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