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「プリキュア爺さん」はアリなのか考えた話

10年前に渋谷の「アシッドパンダカフェ」というクラブによく行っていた時期があった。

とにかく攻めたクラブで、奇天烈なイベントを多く開催することで有名だった。

例えば近所で自転車が盗難されたことを契機に監視カメラを設置し、武装したお客さんと共に犯人を取り押さえるために待機する「ジャスティスナイト」というイベントがあった。

またある時は出会い系に居た夏候惇、通称「惇兄」(三国志の武将)に似ていると評判の女性とみんなで話す「惇兄ナイト」というイベントもあった。

とにかくやること為すこと全てぶっ飛んでいて、私も相撲超人として当時は参戦していたのだが、その中で印象的だったのが「ニチアサナイト」というイベントに参加していた「プリキュアおじさん」のことだった。

「ニチアサナイト」では日曜日の朝に放映しているアニメや戦隊ものの曲を掛けまくるDJイベントで、これ自体が非常に楽しいのだが、プリキュアの曲だけを掛けるDJとしてこのプリキュアおじさんが居たのである。

この方は決してそういうキャラを作っている「有吉反省会」に出ているアイドルのような存在ではなくガチでプリキュアが大好きでその界隈では非常に有名な方だった。

お互いいい歳でも相撲とプリキュアというジャンルを愛し心から楽しんでいる姿に大いに共感したことを懐かしく思っている。あの空間にはそうした攻めたジャンルの楽しみ方をしている尖った方が本当に多かったのである。

あれから10年が経過し、私は相変わらず相撲を見ている。プリキュアおじさんと最後に連絡を取ったのは昨年私が本を出版したときだったのだが、相変わらずプリキュアを楽しんでいるようだった。

恐らく私はこれからも相撲を死ぬまで見続けるだろう。相撲に飽きたり、何か相撲が嫌いにならない限りは離れることは無いだろう。

ただ、ふと私は思った。

この世に少なからず存在するプリキュアおじさん達は、これから「プリキュア爺さん」になっていくのだろうか?

そして将来「プリキュア爺さん」が存在するとしたら、私はそれを肯定できるのだろうか?

と。

何故こんなことを考えたのかは全く覚えていない。恐らく夏休みの最終日なのに一人で福島に何の予約もなくする筈だった旅を気まぐれでセルフキャンセルして何もすることがなかったから。

そして平日の昼間から近所のサウナ「レインボー」でドラクエ行動を取るクソみたいな学生に腹を立てながら別のことを考えようとしたときにふと思いついたことだったように思う。

さて、プリキュア爺さんの話だ。

アシッドパンダカフェでの綺麗な思い出を考えると、プリキュアおじさんのプリキュア愛を思えば私は本来どんな歳でもどんな人でも趣味を心から楽しんでいる人を悪くは思えない。

むしろ誤解が生じるかもしれないジャンルを堂々と好きとカミングアウトする出来ることにリスペクトの念さえ抱いた。

だから私は理屈で考えればプリキュア爺さんに対しても何の迷いもなく肯定する立場にある筈だと思っていた。

しかし‥どうも引っ掛かるのだ。

プリキュアおじさんは理解できたが、プリキュア爺さんに対しては心から良いと言い切れないリトル西尾が耳の辺りに居るのである。

リトル西尾の違和感を辿ると、どうにも「プリキュア」と「爺さん」が結びつかない。虫歯菌のような輩が三股の槍のようなやつで私の建前を壊そうとしてくるのだ。

果たしてこの違和感とは何なのだろうか?私は「好きなものは好き!」という槇原敬之「どんなときも。」の歌詞を信じて突っ走れば良いのだろうか?

そんなことを考えていると、一つ気づいたことがあった。。

そういえば鈴木史朗はバイオハザードが得意だった。大山のぶ代はアルカノイドが好きだった。そして落合博満はあの年でガンオタだ。

彼らの趣味について私は何とも思わない。むしろ彼らのような方が変わった趣味を持っていることに好感すら抱いている。

落合博満がガンダムの話をしているときの表情は最高だ。野球の話をしているときの100倍イキイキしている。

ここからわかることは、私は人を見て趣味に対する評価を下しているのである。

仮に落合博満がプリキュアも好きだったとしたら、私は何とも思わないどころか更に落合博満を好きになることだろう。

私が違和感の念頭に置いているのは、恐らくプリキュアにしか楽しみを見いだせないような爺さんのことだったのだ。

言い換えると、成長しないまま爺さんになっている人がその象徴としてプリキュアを好きだったらどうなのか?ということだったのである。

実はこれは大相撲にも同じことが言えるのだ。

元々ブログ出身なのでファンの方と交流し、イベントを開く機会が多数あったのだが、私が仲良くなるのは決まって年相応の仕事や家庭を持ち、趣味の一つとして相撲を嗜んでいる方だった。

中には相撲一本しか楽しみが無く、コミュニケーションがあまり取れないというタイプの方も居るのだが、どうにも噛み合わない部分があった。

これはプリキュアの問題ではなく、その人の問題だということだ。

今の世の中何を好きでも良いと私は思う。ただ本来の対象年齢などを超えた趣味を持つ場合、人として評価されていなければ誤解を招くことになることを今回のことを通じて私は感じた。

プリキュア爺さんでも良いのだが、プリキュアしかない爺さんではいけないのだ。

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