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至極の一冊「嫌われる勇気」から得た 3つの心が軽くなる発見

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 この本は勇気が出る。アドラー心理学は新しい発見多いわ。今まで当たり前だっと思ってた事がそうじゃないんよ、嫌われる事が結果として幸せになれるんよ!?、という気付きを得たい人は是非読んでいってちょうだい。

この本はアドラー心理学を極めた「哲人」に対して、何かと劣等感に悩んでいる「青年」が物申して、掛け合い形式で進んでいく。今回は本の中に出てくる次の3つのワードから新しい発見を深堀りしていくで。

・トラウマは存在しない

・お前の顔を気にしているのはお前だけ

・「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない

・トラウマは存在しない

え、どういうこと?意味わからん!みんなトラウマあるで、ワシもあるわ。

でもアドラー心理学では「トラウマというものはない」と明確に否定しているとの事。

一例として引きこもりの友人の話をしている。

その友人は過去に両親から虐待を受けてそれがトラウマとなり社会に適合できずに引きこもっている。⇒ 原因(虐待)があってその結果(引きこもり)がある。そりゃそうだろ、わかりやすい構図だわ。まさにこれをトラウマと呼ばずして何と呼ぶのか?だがアドラー心理学はそう考えない。

引きこもりの友人の目的として「外に出ない」があり、そのために不安や恐怖を自分で作り出している。過去の虐待をその言い訳に使っている。

は?引きこもりを自作自演?

そうなんよ、その引きこもり状態は「外に出ない」という目的を達成し、不満があり幸福ではないかもしれないが、それを「自分で選んで」生きているという。

なぜなら、ずっと引きこもっていれば親や知人が心配する。気にしてもらえる、まるで腫物を触るかのように丁寧に接してくれる。他方で家から一歩でも外へ出てしまうと、だれからも注目されない「その他大勢の一人」になってしまう。見知らぬ人々に囲まれ、凡庸で見劣りする私になってします。そして誰も大切に接してくれなくなる。そう考えるから「外に出ない」という目的に沿った生き方をしてるんだと。

整理すると原因があって結果があるという「原因論」でなく、われわれは皆なにかしらの目的に沿って生きているという「目的論」に基づいている、という事らしい。この辺りは本書を読んでしっかりと理解したいところになるなあ。本書に出てくる「青年くん」もこの考え方には抵抗をしめしていたしな。

・お前の顔を気にしているのはお前だけ

 鏡の前で長い時間髪を整えている姿をみた祖母が「お前の顔を気にしているのはお前だけだよ」と一言。それによって生きるのが少し楽になった、という本書の中に出てくるエピソードがある。他者はそれ程までに「あなた」を見ているのかなあ?あなたを24時間監視し、隙あらば攻撃してやろうと虎視眈々と窺っているのかなあ?多分違うよなあ。

 他人の目を過度に気にすることがなくなれば、不要な猜疑心にかられることもなく、世界は安全で快適な場所に映るとのこと。 「人々は私の大切な仲間なのだ!」と実感できていれば、世界の見え方は全く違ったものになる。なるほどなあ、考え方やものの見方を変えていかんといかんなあ。

・「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない

 親の期待に応えたい、上司の期待に応えて仕事したい、妻が願う理想の夫になりたい、・・・それがなんでダメなん?期待に応えて、認められて、褒められ、自信になって・・・いい事ばかりじゃない。しかし、アドラー心理学は他者の期待を満たすために生きることを否定してるんよ。

 どういうことかというと、他者が抱いた「こういう人であって欲しい」という期待をなぞって生きていく、いつも他者からの視線を気にする、評価される、私である事を抑えながら・・・。それは苦しいよねって話。いい意味で自分本位で立ち振る舞っていくのが大事と説いている。あなたの人生なんだから、「あの人」の期待に応える人生ではないんよ、ということ。

まとめ

嫌われる勇気に出てくる3つのワードから新しい発見を書いてみた。

・トラウマは存在しない

・お前の顔を気にしているのはお前だけ

・「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない

 これを読んでいるあなたは「気が利く人」「相手の気持ちになって考える人」「自分の弱さをよく知る人」だと思います。それは素晴らしいと思う。ただそこに幸せが無い、苦しい、生きている実感が湧かない、という現状であれば本書を手に取って欲しい。この3つのワードを含めて心が軽くなる事が書かれているはず。そうだったんだと世界の見え方が少し変わるかもしれんよ。