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ドキュメンタリー映画『台湾、街かどの人形劇』〜布袋戯の妙手である李天禄と陳錫煌の両師匠の物語〜

ドキュメンタリー映画『台湾、街かどの人形劇』を視聴した。台湾の寺廟や街角で上演される人形劇「布袋戯(ポテヒ、ほていぎ)」は、手の平サイズの人形の衣装に人形遣いが手を入れ、台湾語で科白を発しながら演じる、台湾の伝統的な庶民の娯楽だ。その布袋戯の伝承に力を尽くす人形遣いの名人・陳錫煌(チェン・シーホァン)を10年にわたって追い続けた映画である。日本で言えば、陳錫煌さんと同世代の、文楽の人形遣いの吉田簑助さんのことを思い出した。

伝統芸能の継承の困難さだけでなく、布袋戯をめぐる政治、言語、歴史の問題にも着目し、最終的には父であり師匠の李天禄(リー・ティエンルー)(侯孝賢作品に登場する名脇役)との間に生じた葛藤へと掘り下げていく。原題名『紅盒子』<赤い箱>、英題『Father』。

布袋戯は、その時々の政治状況のなかで政治宣伝に使われた歴史もあり、台湾語での公演を禁止されたり、伝統芸能としての布袋戯の直面する継承の困難さが描かれる。人間国宝も「近頃は役所の仕事ばかりだ」「呼ばれてイベントをする。情けない」と嘆く。かつては「街かどの人形劇」であって堅苦しいものではなかった。街かどの小舞台で演じられる大衆の娯楽であり、ひとびとの日々の暮らしの中にあるものだった。それがいつしか「芸術」とされ役所の後押しで披露しなければならなくなった。他の娯楽の隆盛による衰退。政治的介入や変容を強いられる一方で「国の伝統芸能」として祭り上げられる。国宝級台湾人形劇師・陳錫煌さんの父への葛藤は、80歳を過ぎてもなお変わらない。

左が李天禄(リー・ティエンルー)、右が長男の陳錫煌(チェン・シーホァン)、親子であり師弟でもある。布袋戯の名手の李錬禄の陰に隠れるように、しかしながら、その圧倒的な力に必死に抵抗するように佇んでいる陳錫煌。


日本統治時代の1931(昭和6)年、布袋戯の巨匠、李天禄さんの長男として生まれた陳錫煌さん。人形や道具の制作にもたけ、伝統芸能と伝統工芸の両分野で人間国宝の称号を得ている。日本でいえば人間国宝に相当する「重要伝統芸術布袋戯類保存者」などの認証を受けた。同作では、伝統芸能の伝承者となる運命を持ち、師でもある父親との葛藤の中で生きてきた陳さんの姿が描かれている。
今年89才の陳錫煌は、父である故・李天祿から紅盒子(戲劇の神ー田都元帥)を受け継いで以来、布袋戲の運命を背負っている。人間国宝になっても、『李天祿の息子』と紹介される宿命から免れられない。

外国人にも惜しみなく技を伝授する。
父から受け継いだ赤い小箱=紅盒子(原題)の中には、戯劇の神さま・田都元帥が入っている。陳はこの神様を常に携える。布袋戲は第一に、神への敬意を表すためにある。人に見せるのはその次だ。旅の前には平安をお祈り、無事に帰れば一幕演じて、神にお礼を。布袋戯は神様に見せるために演じられる。そのおこぼれを人間も見て楽しむ。


気になった点が2点。
・姓にまつわる親子の葛藤。李天禄(リー・ティエンルー)は婿養子として陳家に入ったため姓は李。長男の陳錫煌(チェン・シーホァン)は母親の姓を受け継いで陳という姓。次男の姓は李(?)。李天禄は特に陳錫煌に厳しかったようだが、陳錫煌はその理由は「分からないが、おそらく姓が違うからだろう」と。インタビューの聞き手が思わず「姓がそんなに重要なことなんですか?」と聞く場面。ジェネレーションギャップ。
・陳錫煌の弟が亡くなった時に、斎場を訪れた母親に陳錫煌が「来たらいけない」と言うシーン。母親が息子の死を悲しむことは禁止されたというしきたりについて。


参考資料①:ドキュメンタリー専門ウェブサイト「web neoneo」掲載の、稲見公仁子さん(台湾映画研究家)による『台湾、街かどの人形劇』楊力州監督インタビュー記事。

「布袋戯関係の文献をいくら調べても、陳錫煌の子の存在に突き当たらないのである。弟の子の存在は認められたが、陳のほうは見当たらない。そこで思い切って楊監督に尋ねてみた。答えはこうだった。
「血縁者がいなかったわけではありません。彼にはふたりの息子とふたりの娘がいます。ですが、息子はふたりとも継ぐことを拒否しました。私は、こんなに素晴らしい技術をもった父がいるのに何故引き継がないのか、もったいないと思っていました。そんな事情から、陳さんにとって、彼と彼の弟子たちの関係は親子の関係に発展していったのではないでしょうか。息子たちに対する期待を、弟子たちへの期待に変えていったのでしょう」」(引用)

「台湾には三種類の伝統人形劇が現存し、この三種類すなわち手に人形をはめて操る布袋戯・傀儡戯(操り人形)・皮影戯(影絵劇)のうち、布袋戯はもっとも劇団数が多く、その数は台湾全土で四百を超えると言われる。しかしながら、専業で食べていける人形師はごくごく僅か……楊監督は取材中にそのことに直面し、ショックを受けたのだった。」(引用)

「伝統楽器の響きに乗せたパフォーマンスで、ラストで流れるのは日本統治時代の作曲家・鄧雨賢による台湾歌謡の名曲「望春風」だ。これは何か意識した選曲に違いないと尋ねてみた。
「初めて訊かれましたよ。やはり意識して、映画と布袋戯の新しいスタートを期待して『望春風』を使いました。もともとこれは愛情に関する曲でしたが、一時期歌うことが禁止されていました。同様に台湾語もかつて学校では禁止され、しかも台湾語を話すのはとてもレベルの低い人だと見做されていました。でも、本当はそうではなくて、この曲と同様に(台湾語も布袋戯も)とても美しいものだということを表現したかったのです」」(引用)

参考資料②:楊力州監督のインタビュー記事


参考資料③:森美千代さん(中国現代文学/映画批評)の『沖縄タイムス』記事


参考資料④:A PEOPLE /ホウ・シャオシェン監修/「台湾、街かどの人形劇」/ここで見つめられているのは、父とは姓の異なるチェン・シーホァンが背負い、いまも解決していない「伝統芸能の継承」についてだ/文:相田冬二

「思うにこの映画は、いくら見つめても解き明かされることのない困難こそを主題としているのではないか。シーホァンは、父、そして布袋戯との複雑な関係を、語る。父とは姓が違うこと、父とは同じ姓の次男が父の劇団を継いだこと、布袋戯が衰退の一途を辿っていること、老いた彼の手がかつてのように十全な動きを果たせずにいることなどが、包み隠さずに述べられるが、このひとの真実が露呈するわけではない。」(引用)

参考資料⑤:陳錫煌さんが娘役の人形の扱い方を解説しながら見せる映像。人形も、木片から掘り出すところから、陳さんの手作り。

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