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弱者の闘い方(パワハラ上司との長い闘い①)

 「パワハラはなぜいつまでたってもなくならないのだろう」

そんな漠然とした疑問がこの2年で消しとんだ。当事者になることで。被害者として。

働き出して1年目、足を踏まれる、書類を叩きつけられる、いきなり後ろから押される。そういうことって、人に話しづらい。なんか、ダサいし。「なんで」ってきかれるから。その「なんで」は加害者に聞くべきことなのだが。

こんなとき、働いてる人には選択肢がいくつか出てくる。相談する?休職する?戦う?辞める?我慢して時が過ぎるのを待つ?

冒頭の問い「なぜパワハラがなくならないか」は報復が怖いから、なのだとその時気づく。

まだ私は20代の前半だ。人生はこれからだ。それを50代や60代のおっさんに踏みにじられていいのかー

人生相談をいくつも見た。仕事を辞めて新しいスタートを切った方がいいというのが大半。でも、それって、おかしくない?辞めるべきなのって加害者じゃないの?

そんなモヤモヤを抱えながらあることに気付く。パワハラの大半は実は「自分だけ」じゃないことが多いということ。2年目の春、事態は大きく変わる。新しく転勤した女性の先輩職員もパワハラで休職を余儀なくされた。その女性の先輩職員は私にこういった。「まくらぐらしさん、ここは異常だから早く逃げた方がいいよ」その言葉でハッと我に帰る。悪いのは、私ではない。向こうだ。

そこから、他の人にも話を聞くと、人事が他のパワハラを放置していることが判明。これは人事課に殴り込むしかない。○月○日電話していたら突然背後から押してきた。○月○日、有給で帰ろうとしたら席に呼び出されて病院の時間に遅れた。こんな山のような事件(思い出すだけで反吐が出そうな)を携えて。

結局、パワハラを訴えて報復されたら報復の報復をすればいい。「弱者の闘い方」は法でぶん殴ることだったと後に気付くことになる。弱者を守るために偉い人たちが何千年もかけて培って来たのが法の秩序だし人権であるのだから。(続く)

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