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思い出32  私を取り巻くの家族

私を取り巻く家族について記載します。

◎現在同居
・自分(1956年生まれ、O型)
 年金生活+顧問契約。一人っ子の典型的な我が儘爺。
・妻(通称プー、1963年生まれ、AB型)
 高校卒業後に就職し、2年で妊娠して社内結婚を機に退社。
    現在は専業主婦。
 糖尿病を患っています。
・長男(1990年生まれ、B型)
 不登校児童で中卒。フリーターを経て、現在は契約社員。
◎長女(通称ノリ、1984年生まれ、B型)
 高校卒業後、2005年に出来ちゃった婚で嫁入り。
 川越在住。大学、高校、中学に通う3人の男の子の母親。
◎次女(1986年生まれ、B型)
 大学卒業後、2011年に結婚。所沢在住。小学生の男の子が2人います。
◎自分関連の家族
・祖母(1987年永眠)
 四日市で素泊まり旅館を営んでいました。
・父(2012年永眠)
 四日市で夫婦で玩具店を経営。
    認知症を患い、2009年に埼玉に連れてきて同居。
 最後は病院で息を引き取りました。
・母(2010年永眠)
 2008年に脳溢血で倒れ、植物状態に。
 四日市市民病院を退院させられ、埼玉に転院。2010年に永眠。
・父の妹(2019年永眠)
 子供を産んでから精神疾患を患い、離婚し入退院を繰り返していました。
 父の死後、父の弟から押し付けられる形で、私が面倒を看ることになりま
    した。
◎妻関連の家族
・祖父(1986年永眠)
・父(1990年永眠)
・母(2020年永眠)
・姉
 車で15分ほどの場所で一人暮らし中。

夫婦や子供たちの性格について、思い出として記載しておきます。これは今のイメージであり、将来変わっていくかもしれません。
今年61歳の妻、プーは、血液型がAB型です。付き合い始めた頃、クマのプーさんのようなぽっちゃりとした体型だったため、愛称が「プー」になりました。
身長は約155cmで、私とは12cmの差があり、ちょうど良いバランスだと思います。
高校時代はバレー部に所属していたらしいですが、運動神経が良いとは思えません。

性格は真面目で、決められたことをきっちり守る一方、要領が良いとは言い難いです。
主婦としては普通かもしれませんが、食事中にも食べ終わった物を片付け始めるため、自分の食事が遅くなり、結果的に迷惑をかけることがあります。
いろいろと世話をしてくれるのはありがたいのですが、周囲に相談せず、自分勝手に物事を進めてしまい、失敗することもあります。
長女は、母親であるプーにべったりで、何でもプーに相談して決めてもらってきたようです。
高校進学や就職先も二人で決め、訪問しています。
高校から紹介された都内の上場会社についても、二人で下見に行っています。
そして、入社試験のために履歴書などの書類を送る際、封筒の裏に高校名を入れずに送ってしまい、その結果、書類審査で落とされました。
当時は、企業が応募者を選別する時代で、多くの応募書類が届く中、関連高校以外からの応募は断っていたようです。
中をきちっと確認しないので、封筒に学校名が書かれていないと、気づかず書類審査で落としてしまいます。
先生から長女は、聴いていたようですが、忘れてしまっていて、プーが住所と名前だけを記入させて、勝手に送ったようです。
先生か私にちょっと相談して、高校名を入れておけば、都内の会社のOLになっていたかも知れません。
その後の長女の人生は大きく変わっていたかも知れません。
都内にOLになっていれば、暫く結婚しないだろうから、まだ、大学生の孫はいないと思います。
また、プーは、お金に関しては、計画性がまったくありません。
同棲中の時ですが、昔の友達にロイヤリゼリーを買わされた事もありました。確か5本で20万円ぐらいだったと思いますが、ローンを組まされたようです。
一応、私はケミカル関連の職業ですので、そんな価格は有り得ない事はわかりましたので、クリーンオフして、返却しました。
1本は、勧めらた時にその場で開けてしまっており、1本だと割引対象にならず、6万円で買わされました。
相手は、中学校の友達だった言う事で、文句も言いませんでしたが、かなり悪質な商法だったと思います。
プーは、何事も「どうにかなる」と考えがちな性格で、何も考えずに購入することがよくあります。
新居には消火器がありますが、これも訪問販売でプーが買わされたものです。
一度、お袋からお金を借りたいと言われた際、私に相談せず、定期預金を解約して手持ちのお金を全て渡してしまいました。
その後、銀行から引き落としができないという連絡が私に入り、事態に気付きました。
その後は、お袋がどれだけ泣きついても、振り込むのはアパート代程度と決め、それを守らせることにしました。
それ以降、銀行からの連絡はなくなりましたが、約束を守ったかどうかは不明です。
とはいえ、何でも衝動買いしてしまう私よりは、プーの方がお金の管理は、無難だと思います。そのため、銀行カードや通帳は完全にプーに任せており、私はパスワードも知りません。
私は小遣い制ではなく、出かける時など、プーがお金を降ろして、財布に補充すると言う形です。ほとんどは、クレジットカードでの購入ですが、皆で行く飲み会などの支払いは現金になります。課長クラスだと1~2万円、部長クラスだと2~3万円、出して、後は割り勘と言うのが多かったです。ギャンブル依存症ではないので、いざとなれば自制できると思いますが、幸いなことに、まだそこまで追い込まれたことはありません。
定年退職後は、収入が年金とバイト代だけになりました。この2年ほどは、孫たちへのプレゼントやテレビやクーラーなどの買い替え、さらには推し活費用やエロ関連の趣味費用が増えており、完全に支出が収入を上回って赤字になっています。
退職金を切り崩しながら、とりあえず楽しく過ごしています。
お金の管理はすべてプーに任せていますが、いまのところ、使い過ぎについての話は特に出ておらず、結局のところ、「なるようにしかならない」とお互いに納得している迷コンビです。
以前、借金生活に突入した時には、電気代も払えないほど困窮し、プーは実家からお金を借りていたようです。当然、私には相談もなく、知りませんでした。
最終的には、保険会社からも借り入れをしたようです。当時は、契約者の確認なしに奥さんだけで借り入れができたため、私はそのことを知りませんでした。
私が定年退職し、給料から天引きされていた生命保険料を、通帳からの引き落としに変更しようとした時、担当者に連絡しましたが、全く対応してもらえませんでした。
結局、自分で調べて、ネットでオンライン処理を行うことになりました。
その際、初めて保険会社からの借金があることに気づきました。
とりあえず、自社株の一部を売却して現金化し、返済しました。
埼玉で就職してから、生命保険会社の担当者にはとても親身になってもらい、お世話になっていました。
しかし、7年前にその担当者が亡くなり、担当が変わりました。
コロナ禍も影響してか、以前の担当者は月に1回は顔を出してくれていたのに対し、現在の担当者は挨拶にも来なくなり、対応が大きく変わってしまいました。
来年、契約更新の予定ですが、担当者からの連絡を待っているところです。
もし対応が悪いようなら、解約して、安価なネット保険会社に切り替えようと思っています。
老舗の保険会社で、テレビCMではお客を大事にしているように見えますが、来年もNOTEを続けていたら、その結末を記載したいと思います。
現在、年金のほかに、以前勤めていた会社と顧問契約を結んでおり、15万円程度の収入がありますが、国民健康保険料などで3万円ほど差し引かれるため、今の使い方だと赤字状態です。
それでも、退職金として投資信託で約1000万円ほど残っているので、しばらくは大丈夫だろうと考えています。最近の株価の乱高下には不安を感じますが、「ケセラセラ」です。
老後のための貯金はありませんが、古くても住む家があればどうにかなると考えています。
話を家族に戻しますが、そんな親から生まれた長女は、プーに近い性格だと思います。
長女は4歳くらいまで人見知りが激しかったです。
赤ん坊時には、私がお風呂に入れていましたが、4歳くらいまでは母親の姿が見えなくなると、私がいても泣きそうな顔をしていました。
長女が4歳くらいの時、同じ年の会社の先輩と私、そして長女の3人で、武蔵野短期大学の学園祭に行ったことがあります。
武蔵野短期大学は幼児教育も行っており、付属の保育園や幼稚園も運営しており、当時の学園祭はその保育園の募集も兼ねていました。
お客さんとして歓迎されましたが、私たちの目当てはギャルたちでした。
そこで、教育実習の一環として開かれていた預かり所に行き、5分ほど様子を見て「大丈夫だろう」と思い、長女を預けて遊びに行くことにしました。
しかし、40分ほどして戻ってくると、長女は泣きじゃくっており、3人ほどの学生が集まって、一生懸命にあやしていました。
私がいなくなってから、ずっと泣いていたようで、学生たちも泣きそうな顔をしていました。そして、謝られました。
私は「長女にとっては初めての経験だから、泣いても仕方ないですよね」と、学生さんたちを慰めました。
一応、私の顔を見たら長女は泣き止んだので、父親としての威厳は保たれたと思います。ただ、もう預けるのは無理だと判断し、3人で学園祭を見て回ることにしました。私たち2人が前を歩き、長女がペンギンのように後ろからついてくる形になりましたが、長女だけが学生たちの注目の的になり、私たち2人はなんだかつまらなく感じて、早々に退散したのを覚えています。
プーが専業主婦だったこともあり、長女にべったりになっていたのが原因だと思います。しかし、次女が生まれてからは、長女にべったりできなくなり、隣に住む2歳上の女の子のおかげもあって、4歳後半には人見知りが直り、幼稚園にも普通に通うようになりました。
長女は言うことを聞かないことが多く、よくお尻を叩いた記憶があります。
今では虐待と言われそうですが、それでも優しい子に育ち、現在では大学1年生から中学1年生までの3人の子どもの良い母親になっています。
次女は、そんな長女を見て育ったせいか、怒られるようなことをせず、手がかからない子になりました。
長女やプーとは違い、次女は口が達者で要領の良い子供でした。
てきぱきと仕事をこなすので、店長に気に入られた反面、他のパートの叔母さんたちには妬まれたこともあったようです。
むしろ、長女や母親をうまく乗せて使っているようなイメージがありました。
そんなしっかり者の次女ですが、抜けている部分もあり、携帯をゴミ箱に捨てたり、川に落として流してしまったり、家族旅行では財布を金庫に入れたまま忘れたりと、日常茶飯事でハプニングを起こしていました。
そうした抜けた部分とのギャップが、上司や年配者から好かれる理由かもしれません。
ただ、一度決めたことは変えないという意固地な部分もあり、短気で爆発することもありました。
私も、自分の思い通りに物事が進まないと怒ってしまうことがあるので、次女もその部分が私に似ているのかもしれません。
七五三の写真では、長女は人見知りでしたが、一人でしっかりと写真を撮ってもらいました。
一方で、次女は、理由は忘れてしまいましたが、最初から写真を撮ることに強く抵抗し、結局、次女だけ一人の記念写真は撮れませんでした。
家族全員が写っている写真だけが手元に残っています。
また、次女は、大学の入学式に母親と一緒に行きましたが、何か気に入らないことがあったようで、その後しばらく母親との関係がぎこちなくなっていました。
プーは自分が悪いと謝っていましたが、次女の怒りは理不尽なものだったのではないかと想像しています。
次女が「切れる」と言っても、キーキー騒ぐのではなく、完全に無視するという形です。ただ、根に持つことはなく、数日で元の状態に戻ります。
私が、パブやスナックなどで女姓名刺を貰ってくるたびに、もう口を利かないと怒っていましたが、すぐに機嫌は直ります。
現在の紗倉さんの推し活も容認されています。
長女においては、何をしようとも怒る事はなく、優しく体の事を心配するだけです。
次女は、各種式典への出席や車の手配など、日常的な頼み事を私に直接言ってきたことはほとんどありませんでした。
たいてい、母親を通じて伝えられていたと思います。
大学や就職先の選択もすべて自分で決めていました。
ただし、会社を辞めるといった重要な案件については、私に報告していました。
直接ではなく、メールでの謝り報告でした。
せっかく大学まで行かせてもらって、就職できたのに辞めてしまってごめんなさいと言う内容でした。しっかりした長文でした。
やはり、親父という存在を一定の敬意を持って見ていたのだと思います。
次女は自分の子供たちに対しても、「お父さんに言うよ」と言って旦那を立てるように教育しています。
どう見ても、旦那は次女に頭が上がらない様子ですが、それでも子供たちにとっては父親が怖い存在になっています。
少しは私の存在が役に立ったと思えると、うれしく感じます。
長女と次女は、小学校の時に狭山ライオンズソフトボールチームに入っていました。
長女は友達に誘われて、小学校4年生の頃に入団したと思います。
その流れで、次女も小学校3年生の時に入団しました。
長女は最後まで補欠要員でしたが、次女は足が速く、小学校4年生の頃から試合に出て、5年生になるとレギュラーになっていました。
辛うじて、次女がレギュラーで長女がベンチという光景を見ることはありませんでしたが、基本的に次女の方が何を行っても要領が良く優秀でした。
ドラマでは、次女が優秀で長女がひねてしまうというシチュエーションがよくあります。しかし、長女はそうした状況をまったく気にせず、いつも次女を尊敬し、応援するという優しさ溢れるお姉さんでした。
おそらく、何も深く考えておらず、そのような自尊心もまったくなかったのだと思います。
ソフトボール時代には、姉妹は仲良く練習しており、私も車を出して試合に付き合うことがよくありました。
ただ、長女は大事な場面でよくポカをしていました。
他人に迷惑をかけるわけではなく、自分だけが被害を受けるようなポカです。
レギュラーとして出場する予定だった試合前の練習で、捻挫して途中で帰宅せざるを得なくなったことが2回ほどありました。
中学校の時も、試合前に自転車で大怪我をして試合に出られなくなったことがありました。
狭山ライオンズソフトボールチームは小学校までのチームですが、中学校に進学しても部活動でソフトボールを続けていました。
次女がソフトボールを始めたばかりの小学校3年生の時、突然「辞めたい」と言ってきたことがありました。
その時、私の機嫌が悪かったのか、次女を思い切り怒ったようです。
覚えていませんが、その結果、次女はソフトボールを辞めずに続けることになったようです。
その話は今でも次女に言われることがあります。怒られたのはこの1回だけだったと言っています。
また、プーも長女もおしゃれに関しては無頓着で、まさに似た者親子でした。
私が働いていた会社では、微量な化学物質を扱うことが多いため、化粧や香水など香料が仕事の邪魔になることがありました。そのため、担当者たちは薄化粧を心がけており、私自身もさまざまな匂い成分に敏感になっていました。
若い頃は髪の毛がふさふさしていましたが、ヘアスプレーやヘアトニックを使うことはありませんでした。
定年を迎え、そうしたことを気にする必要がなくなった今では、使う髪の毛も少なくなり、結局、一度も使うことなく過ごしています。
そういった背景もあり、私は今でも男女問わず、濃い化粧の臭いや香水、そして多量のトニックの臭いが苦手です。
プーも同じ会社で化学物質を扱っていたため、薄化粧になりました。薄化粧というか、同棲時代から化粧をしている姿を見たことがないので、おそらくリップクリームを塗る程度で、ほとんど化粧をしていなかったと思います。
四日市の実家では、洗面所や化粧台には母のさまざまな化粧品が所狭しと並んでいましたが、次女が高校に上がるまで、家ではそのような光景を見たことがありませんでした。
長女もプーの影響を受けて育ったので、ほとんど化粧をしていなかったと思います。
次女は小学校5年生頃から日焼け止めを塗るようになりました。
ソフトボールでは、短パンを履いていたため、通常と違う部分に日焼け跡が残り、スカートを履くとその跡が目立ってしまいます。
汗で日焼け止めが落ちてしまうため、時間があれば何度も塗り直していました。
この日焼けと足が太くなるのが嫌で、次女は中学校まででソフトボールを辞めることになりました。
高校に進学すると、洗面台にはさまざまなクリームや化粧品が並び、髪専用のコテアイロンやドライヤー、香水、口紅なども置かれるようになりました。
プーに関しては、今でもほとんど化粧をしておらず、そのことで次女によく注意されています。
長女とプーは、ほぼ同じ身長です。次女は160cmで、紗倉さんとほぼ同じ、すらっとした体型です。
プーや長女を見て育った次女は、その反動からか、かなりおしゃれで、夏になるとへそ出しルックなど大胆なファッションを楽しんでいました。
そのため、痴漢に遭遇したこともありましたが、今でもおしゃれに気を使っています。
一方、プーや長女は風呂上りもほとんど変わらないですが、次女は化粧を落とすと眉毛もなくなり、まつ毛も無くなり、まるで別人のようになります。
この辺りは、どちらが良いかは好みが分かれるところです。
紗倉さんは、すっぴんでも可愛くて綺麗で、この業界では薄化粧の方だと思います。
イベントなどでツーショット写真を撮ってもらうこともありますが、彼女は良い香りがして、近くで見ても本当に可愛くて、いつもドキドキしています。
他の女優さんは月に一度くらいリリイベを開くことが多いですが、残念ながら紗倉さんの場合はほとんどありません。コアなファンがいる紗倉さんクラスだと、リリイベの開催にはあまり意味がないのかもしれませんが、年に3回くらいはリリイベを行ってもらえると有難いと思っています。
直接は、嫌われたくないので言えないです。
一方、長男は、プーの「どうにかなるさ」という楽天的な考え方と、私の「好きなこと以外はやりたくない」というわがままな悪い面を引き継いでしまったように思います。
お姉さんたちには小さい頃からママゴト遊びの道具として使われており、人見知りすることもなく、放っておいても一人遊びをしている、手のかからない、存在感のあまりない子供だったと思います。
プーも長男にあまり手をかけることなく、自由にさせていたため、小学校3年生の時に不登校になったようです。
当然、プーの性格から、私に相談することはなく、私もそのことを知りませんでした。
そして、中学3年生の時に2回目の不登校になりました。修学旅行にも行かずに卒業しています。
不登校と言っても、引きこもりではなく、私の前では朝、学校に行くふりをして家を出て、私が会社に行ったのを見計らって帰宅するという状態でした。
学校から呼ばれてその状況を知った後も、特に学校に行かせようとすることはありませんでした。
当時は、好きに生きさせるのが一番だと諦めており、どうにかしようという気持ちにはなりませんでした。
本当は、1年留年させて、きちんと学校に通わせ、高校まで進学させるのが正解だったかもしれません。
もし、過去に戻って人生をやり直せるとしたら、この分岐点に戻りたいと思います。
その結果、長男はその後もフリーターとしてブラブラしていました。
とはいえ、私がお酒を飲んだ時にはアッシー君として運転をしてくれました。
ただ、運転はあまり上手ではなく、車をいろいろな所にぶつけていましたが、今ではとりあえずぶつけることはなくなっています。
さすがに私が定年を迎え、収入も減ったことから、長男も契約社員として働き始めています。
私から見ると、3人の子供たちはまったく異なる性格に育ったと思います。
ただ、3人に共通するエピソードとして、2歳ぐらいの時に全員が2階から階段を転がり落ちたことがあります。
ゴロゴロという音だけが響き、泣きもしなかったと記憶しています。
長女が転がり落ちた時、夫婦で慌てて「大丈夫か!」と大声で心配したので、彼女はその声にびっくりして泣き出しました。
次女の時は、一応見に行き、傷などを確認しました。
長男の時は、私は見に行かず、プーに任せました。
階段は、よちよち歩きを始めるよりも前に、這い這いしながら登れるようになります。
一人立ちができて普通に歩けるようになり、階段でも立って降りようとした頃に、この階段落ちの出来事があります。
落ちても、コブやあざもできず、傷もなく、まったく平気でした。
大人だったら大変な事になると思います。
最近、毎日、夜中にトイレに起きますが、手すりにつかまりながら階段を上り下りしている時、もしも落ちたらあの世行きかなといつも想像しています。
おっとりした長女、しっかり者の次女、優しい長男と、親にとっては良い子に育ってくれたと思います。
老後の蓄えはありませんが、どうにかなると楽観しています。ただ、一番心配なのは、プーに捨てられて熟年離婚になることです。

以上が、私を取り巻く家族です。

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