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すずめ

今年の8月21日に亡くなったユニ。
実は私は子供の頃のある出来事で、父親から動物を飼うことを禁じられました。そんなこともあって、ユニは私が家族に迎え入れた、最初の動物でした。
動物を飼うなと言われたのは、私の心の弱さが原因なのですが、今回まったく心の準備もなくユニを失ったことで、私自身のダメージがどれだけ尾を引いてしまうのか、正直気がかりでした。

今の自分を振り返る為にも、当時の出来事について、触れてみたいと思います。

昭和45年の春先、当時住んでいた静岡県引佐郡細江町(現在は浜松市)の自衛隊官舎のベランダに、1羽の雀の雛が落ちて来ました。

雀は、その身体の小ささから、子供が巣から落ちてしまえば、救い出すことは不可能です。

このまま放置すれば死んでしまうし、巣に戻せば親鳥はその巣の雛をすべて放置してしまう・・・図書館で雀の生態を調べるとそんなことが分かりましたので、どこまで出来るかは分かりませんが、この雛を出来るだけ育てよう・・・私はそう決心して、うちの中でこの雛の世話を始めます。

今であればネットで検索して情報が簡単に手に入りますが、この当時は専門的知識は詳しい人に聞くか、自分で図書館で調べるしかありません。

私は学校の先生に尋ねたり、父に聞いたり、図書館で鳥の生態について調べたりしながら、ひな鳥の時は何を食べさせたら良いか、排せつ物の処理はどうやったら良いかなど、疑問に思うことが出来る都度調べたことを書き記したノートを確認しました。

雛の頃には植物性の稗や粟などをすりつぶしたものを水などで捏ねて、割り箸の先で与えたりしました。

ちょっと成長すると、「生餌」が必要だと知り、まずはハエや蚊をまだ生きた状態で捕まえてくちばしの前に出して与えたりしました。

段ボール箱で作った巣では、排泄物を割り箸でつまみ出して掃除をしたり、新聞紙を細かくちぎった敷物は1日数回交換しました。

雛はやがて成長し、室内を飛び回れるくらいにまで大きくなりました。雀は成鳥になるまで、おおよそ2週間なのですね。

雀は警戒心の強い鳥ですから、人間には普通は近づきません。しかし私の育てた雛は私を親鳥と思っているらしく、私の肩に乗ったりすり寄って来たり、手を出せば手乗り文鳥のように手の上に乗って来ました。

両手で指を交互に差し出せば、そこに順番に飛び移ってくれるようになっていました。

お別れは突然でした。

いつものように、夜おやすみなさいと言って段ボールの巣に寝かせた雛は、朝、冷たくなって横たわっていました。

餌やりもお世話も、私なりには一生懸命やったのですが、やはり自然の事とは違って、何かが足らなかったのでしょう。

私は、亡くなった雛を抱えて号泣しました。その日は、学校へ行くこともままなりませんでした。

その日の夕方、帰宅した父に連れられて、近くの川の土手の木の下へ、雛のお墓を作りました。

その日から3日間、私は泣いてばかりで、翌日学校へはいったものの、給食も食べず帰宅してもご飯も食べずという状態が続きました。

夕食の食卓前で泣きじゃくる私に投げつけた父の言葉が、「お前には動物を飼う資格はない!」だったのです。

この時と今と、私は基本的に成長はしていないようです。

ユニとは、この時の雀の雛とは段違いの、心の暖かくなる時間を過ごして来ました。

悲しんでばかりいてもユニは喜ばないのは分かってはいます。それでも押し寄せてくる寂しさに対しては、私はまだ克服出来る術を持たないようです。

しかし、雀の雛の時もそうだったように、時間がやがて解決してくれるんだと、思います。

解決してくれるのは、悲しさの処理であって、ユニを大切に思う気持ちは、ずっと変わりませんが。


ユニ、沢山の幸せを、ありがとう。


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