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追悼、大江健三郎

作家の大江健三郎先生が老衰のため3月3日に亡くなられた。年齢的にそう遠くない将来、大江先生が世を去る日が来るだろうと覚悟はしていたが、思った以上に早かった。大江先生が亡くなられたという報道が成された13日から2週間ほど経ったが、それでもショックというか、大江先生がいない世界にこれからどう向き合ったらいいのか、今もまだわからない。大きな羅針盤であり、精神的支柱であった大きな存在がこの世にもういないという事実は大変悲しく、大江先生の代わりになる人は誰もいないという事実に打ちひしがれるばかりだ。

初めて大江先生の作品を読んだのは、たしか『性的人間』だったと思う。全く味わったことない日本語の構造に鮮烈な衝撃を受けた。

その後、実家にあった『死者の奢り・飼育』を読み、大変に優れた作品であることに感銘を受けた。決定打は、『個人的な体験』である。

これほど小説としての面白さ、文体の巧みさに舌を巻き、のめりこむように一気に読了した小説はそうない。本を閉じた瞬間、自分は生涯をかけてこの作家を崇拝するであろう、という予感と確信に全身が貫かれた。

『万延元年のフットボール』を読了したときの輝かしい感動は忘れられない。特に最終章に到達して、最後のページが近づくにつれて、すさまじいまでの興奮、言葉の持つ力にただただ圧倒された感覚。夏の夜明け近くに徹夜のような感じで読了した部屋の光景は今もハッキリと覚えている。ちなみに、講談社文芸文庫の解説で、加藤典洋が『個人的な体験』で大江健三郎にのめりこんだ旨が書かれていて、自分と同じ「個人的な体験」をした人がいることに大いに嬉しく思ったものだ。

大江作品を読み始めるときは、それこそ挑むような感覚で、読了までに何度も挫折を繰り返して躓いた箇所を乗り越え、そのテクストの難易度の高さに、「読む」言葉の格闘技のような感じを抱きながら、遙かなる険しい道筋を辿ってきた。その進み行きはあまりにも遅々としたもので、今もまだ大江文学を巡る旅は途中だ。

小説だけでなく、エッセイ、文学論、対談本など、手に入れられる限り買いあさったが、どんな本でもハズレといえる作品は一冊もない。

『新しい文学のために』(岩波新書)は自分にとって文学のバイブルのような本だ。自分が漠然と考えていたこととほぼ同じ内容が、シャープで明晰な言葉で書かれていたことに、大変な感動を覚えてたものだ。自分の考えは間違っていない、という力強さを抱かせてくれた。創作と小説を書くことの関係がこれほどまでに理論体系化されているロジックは他にない。

日本にはこんなすごい小説を書く作家がいる。それだけでも、生きる希望たりうるというか、心の拠り所に、いつも大江先生の存在があった。日本語が母国語でよかったと思う理由が、大江作品を翻訳を介さないで母国語で読むことができることであった。それくらい、深く心酔する作家だった。

大江先生は、師匠である渡辺一夫から、三年ごとに一つテーマを決めて集中的に本を読んだらいい,というアドバイスを受け、二十五歳から三年ごとに小説家なり、思想家なりを一人定めて集中的に本を読むという習慣を続けてきたという。

その対象となる思想家、小説家は誰だろうか?

三年に一人のテーマかどうかまではわからないが、よく言及される作家に、サルトル、ブレイク、エリアーデ、フォークナー、ダンテ、ロレンス、イェーツ、T・S・エリオット、サイード、ギュンター・グラス、R・S・トーマス、ゲルショム・ショーレム、丸山真男、ナボコフ、ジョイスなどが挙げられる。これらはほんの一部だ。

大江作品という未踏の高みに登るためには、大江先生が読まれてきた思想家、小説家を勉強する必要がある。それだけでもとてつもない、広大な文学、思想の世界を渉猟しなければならない。それはとてつもなく知的刺激に満ちた、途方もなく奥深い世界だ。

大江健三郎の影響抜きに現代文学を語ることは不可能だ。大江文学の全容の解明も途方もない道のりになるのは間違いない。過去にも蓮實重彦が大江論を上梓しており、最近だと工藤庸子、尾崎真理子が大江論を発表している。佐々木中も現在取組中とのことで大いに期待したい。今後、文芸誌で追悼特集が組まれることだろう。複数の出版社が文庫本などの増刷を決めているので、入手困難な作品も手に入りやすくなりそうだ。こちらも楽しみだ。これを機会に、新しく大江作品に触れる読者が増えることを願う。

文学の大きい財産を残してくださいました。
大江先生、ありがとうございます。
心よりご冥福を祈ります。

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