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奇跡の復刊 大江健三郎同時代論集

大江健三郎の逝去によって、大江文学が続々と復刊されている。ジュンク堂では大江健三郎追悼コーナーがセッティングされ、新潮文庫や講談社文芸文庫、講談社文庫で出版された作品が多数平積みされている。残念ながら全ての作品が復刊されたわけではないため、今なお入手困難な作品も少なくない。

しかしながら、まさか復刊するとは思わなかった作品が7月から復刊して順次刊行されている。

それが『大江健三郎同時代論集』全10巻(岩波書店)だ。

この復刊には心底大変驚いた。

数年前に地元の古書店にて『大江健三郎同時代論集』がほぼ全巻並んでおり、そのときに荷物や重量の関係もあって、厳選に大いに苦悩しながら1,7,9,10巻を購入したが、その後、二度と『大江健三郎同時代論集』を見かけることはなかった。案の定、無理してでも全巻購入しておけば良かった、という後悔に苛まれたもので、もう二度と入手不能ではないかとほとんど諦めていただけに、今回の復刊は嬉しい誤算でもあった。

岩波書店の大江健三郎の著作を後世に残して継承したいという意思には頭が下がる。『大江健三郎同時代論集』のXアカウントも開設されている。

この『大江健三郎同時代論集』は、これまで刊行されたエッセイや本と重複している章も多数収録されている。たとえば、『壊れものとしての人間』や『厳粛な綱渡り』、『言葉によって』『鯨の死滅する日』、『ヒロシマノート』、『沖縄ノート』といった独立した書籍や新書で刊行されている内容も、かなり『大江健三郎同時代論集』と被っている。どの本のどの章が『大江健三郎同時代論集』に収録されているのか、ウェブサイトの目次を照合して購入する必要も出てくる。これが実に膨大な量で、決して簡単な作業ではない。

だが、改めて目次を見ると、本当に射程が広く、どれも面白そうな章ばかりであると気がつく。大江が論考を執筆した70年代から約50年経った2023年の今でさえも、「同時代」として決して古びていないどころか、むしろ大江が生涯取り組んできた核の問題や、書くことと読むこと、作家としての想像力、作家論や作品論、それら全てが今読むべき緊急のイシューとして、現前に迫ってくる。大江の批評は、混迷とした世の中である今だからこそ、いっそう読まれなければならないのだ。

その「同時代性」は、推薦者のコメントからも明らかだ。
しかも推薦者がまたとんでもない人選で、蓮實重彦や柄谷行人といった大御所から、高橋源一郎、島田雅彦、平野啓一郎、中村文則、筒井康隆など、大江に大きな影響を受けたことを公言している作家から、桐野夏生や千葉雅也、ヤマザキマリなど、一見すると大江文学とあまり馴染みがなさそうな人も名前を連ねているところが面白い。他にも長嶋有、堀江敏幸、町田康、若松英輔、小野正嗣、尾崎真里子、池澤夏樹、梯久美子、野崎歓、谷川俊太郎など、多士済々で、名前を見るだけで興奮してくる。いかに大江の論考がいかに重要で、必須か、それは以下の二人のコメントからひしひしと伝わってくる。

新たな世界「戦争」が始まった今日でこそ、読むに値する
── 柄谷行人
知性にとっての冬の時代にこそ、大江文学は必修となる。
── 島田雅彦

先日、ようやくNHKのETV特集で「個人的な大江健三郎」が放送された。

番組の最後で東京大学の大江文庫に作家の朝吹真理子が取材するシーンがあった。直筆原稿がおよそ1万8千枚。途方もない数だ。これらの原稿を参照しながら詳細にテクストを検討し、読み直して新たに学術研究を行うとなると、ゆうに100年はかかるだろう。

せっかくの機会だから、新潮文庫でまだ復刊されていない作品『遅れてきた青年』、『日常生活の冒険』、『人生の親戚』、講談社文庫の『治療塔』『治療塔』、大江文学で数少ない児童文学『二百年の子ども』などは今も入手困難だ。作品の評価に関わらず、ぜひ出版していただきたい。販売部数や売り上げの関係で出版社は二の足を踏んでいるのかもしれないが、人類と日本文学の未来のために、入手不能な大江作品があるという事態は避けられなければならない。早急に復刊を望む。

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