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知性の磨き方

【印象に残った言葉】

・自分の目と脳味噌とで見るのでない限り、どんなところを見たって、それはちっとも「肝心」ではない

・学問的な目をもっていればね、オブジェクトに対する感情的なアプローチじゃなくて、それを一つひとつファクターに分けて、それが他のものと比較してどうなんだ、このものの存在の意味は何だろうか、ということをはっきりと認識することができる。

・まず絶対に一つのことに邁進しなさい。しかも十年間一つのことをじっくりと修業して、ゆるぎない方法というものを身につけなさい。それによって将来、どういうふうにでも応用がきくから

・おびただしい不能率、おびただしいうだのなかに、たまさかに鉱脈に行き当たる場合がある

・知識と方法は何が違うかというとね、知識というのはすぐれて個別的なものであって、方法はすべからく普遍的なものだということです。

・方法 ①いままでの人がどうやって研究してきたかっていうことをトレースすること

・② 一つひとつの言葉にどのようなバックグラウンドがあるか、ということを細かに見ていくことです。

・趣味だって、ほんとの趣味となるためには、プロになれるほどの努力と腕前がなければだめなんです。・・・少なくとも、それに対峙する心構えとしてね、ある真剣な決意が必要だということです。

・何も教えないで教えて下さる先生が三人までもいてくだ

すったということ、そのことによって、私が自分自身で勉強していくということを学んだということかもしれない。

・ことその学生にとっての学問の発展ということから見れば、わかりやすく教えてもらったって何にもならない。

・物事は、教えられるというと、その教えられたところが一つの範囲を形成してしまって、そこから出ることがむずかしくなってしまう。反対に教えられないことについてだったら、どこまででも先に行くことができる。

・自分は一生をかけて学ぶべきことは何なんだろうということを全然考えないで、もう就職できればそれでいいんだということであると、就職したときから直ちに「私」というものを放棄してしまうことになる。

・研修というのはね、勉強じゃないんです。あれはその会社なり官庁なりに都合のいいように、悪くいえば洗脳するものですからね。

・今忙しいから勉強できないというのはごまかしだ

・要領よくなんて考える前に寝る暇を惜しんでやれということです

・人間が生きていく上では、読書というのは必修科目じゃないんだということ、まずそこから発想しなければいけない。

・人が何か自分の人生というものについて非常に懊悩して、そこ深い問題意識があって、人生とは何なんだ、己というものは何なんだろう、こういうふうに思ったときにね、たとえばニーチェを読むとか、サルトルを読むとかいうようにして、自分の人生に対する一つの答えをそこへ求めていく。読書っていうのは、そういうときに、・・・「その人にとっての意味」があるんだと思うんですね。

・ほんとうの内的な動機のないところで形式的に「古今の名著」なんかを読破したりするとね、人間は悲しいことに「読破する」というそのことが自己目的になるんです。

・本を読む楽しさを知っている人は黙っていても読むけれど、本を読む楽しさを知らない人は、楽しさがわからないんだから読もうという気が起こらない。

・中等教育までの段階では、子どもたちにどのようにして学ぶことへの動機づけを与えるかということを、真剣に考えなければいけない。

・私に本を読む気を起こさせてくれた数少ない大人は、それらの本の優越性を認めて身をひき、本を読んで私が何を理解したかを質問しないように十分気を付けてくれた。

・たとえば恋愛で苦しんでいる人が、その本を読むことによって慰められたり、それから仕事で行き詰ってうんうんいっている人が、そのストレスがすーっと取れたりね、そういうことが私は読書の功徳だと思うわけ。

・できるだけ快い、安楽な、自分のやりやすいやり方で読みなさい

・多くの人に読まれる本というのは、流行にしたがって変遷しているにすぎないんだから

・いわゆる余暇とは仕事をしないことなんだけれども、その余暇にまた何かをしなければならないとなれば、それは余暇にあらずして仕事であるということ、このことについてお気づき願いたいわけです。

・何もしないでいると、そのうち何かしたいなあと思うかもしれないから、そうしたらそのしたいことをすればいい。

・自分の置かれた状況に不平不満があるんだったら、それをじっくり冷静に見つめて、何か手だてを講じるべきじゃないでしょうかね。

・仕事であってもね、どうしても私はこれがやりたいんだ、というときには、これは「精神の遊び」なんです。

・遊びっていうのは、現象的にそれが遊びに見えても、必ずしも遊びにはなっていない。逆に、仕事に見えても実は遊びだということもある。それは一にかかって、個人としての、独立した心のもちようなんです。


【感想】

 子どもが大学に行く前(あるいは高校生になったとき)にそっと手渡してあげたい本。後半は少し人生に疲れた大人に効く本。という印象でした。

「方法」が身についている人は自信があるように見えるんだろうなと思いました。文章の中に、一貫した意志を感じます。独りよがりではない「自分なり」の世の中の切り取り方に自信が持てるようになりたいとも感じました。

 私の中学時代の友人に、名門大学へ進学したのち、技術職として一般企業へ就職したけれども、本心では研究者になりたかった、アカデミックな世界で成果を残したかった、という人がいます。少し前に、大学時代の恩師から「研究者の枠が空くので、ぜひ君を推薦させてほしい」と打診があったようなのですが、本人は非常に悩んでいました。今の環境も「まったく不自由・不満がない」状況で、あえて一度諦めた道を、しかも今のような収入や人間関係を手放してまで、自分は学問に邁進できるのか、と悩んでいたのです。

 この本を読んでこのことを思い出しました。結局友人は恩師とも直接会って話をしたうえで、再び研究者を目指す、という大きな決断を下したのですが、その決断の数日後に「研究者の枠が空かなくなった」と連絡があったそうです。

 さぞがっかりしているのだろうと思っていたのですが、意外にもすっきりした感じで、「まぁそれならそれで今の環境でがんばるか」と切り替えていました。もちろん、多少は不満はあると言っていましたが。

 「学問」をきちんと修めてこなかった私からすると、友人がまぶしく見えました。せっかく大学まで行かせてもらったのに、「学問」的な思考を身につけようとしていなかったなと、その時も感じたからです。大学時代の私は「学問」的な考えなど、社会に出ても役に立たないのではないかと懐疑的な見方をしていました。効率よく、世の中にあふれている情報・知識をかき集めてこぎれいに編集する能力のほうが社会に出てよっぽど使えるんじゃないかと思っていました。

 物事を深く、客観的に掘り下げて検証し、新たな問題を見出し、さらに検証を重ねていく・・・そういう深い思考を繰り返して血肉とすることはとても重要だと、今なら思います。今もそういう「方法」はまったく身についておらず、浮ついた状態ではありますが。その状態に気づけたという一歩を大切に、一日一日学んでいこうと思います。



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