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わかったつもり~読解力がつかない本当の原因~

◆タイトル・本の帯・プロフィールから得られた情報

〇「わかったつもり」から抜け出す方法について書かれているのではないか

〇「読解力がつかない本当の原因」がわかる

〇西林克彦:宮城教育大学教育学部教授

 ⇒学術的な根拠ある文章だろう

〇「親子でみつける『わかる』のしくみ」などの著作あり。平易な文章で伝えることを意識しているかも

〇脳科学とかにも触れていそう。科学的根拠に基づいて「読解力がつかない本当の原因」がわかりそう

〇初版は2005年9月20日。約15年たっている。

◆目標・道筋・現状

〇目標:「わかったつもり」の状態を知り、そこから抜け出す

〇道筋:「わかったつもり」とは何かを知る

   ⇒「わかったつもり」から脱する方法を知る

〇現状:あまり読解力がある状態とは言えず、「わかったつもり」なのが自分でもわかる


◆第1章「読み」が深まらないのはなぜか?

【質問読み】

〇読みが深まらないのはなぜか?

 ⇒部分間にある種の関連がついて「わかった」状態にあったから、一読後の時点では「わからない点がない」と思ってしまう。「わかった」から「よりわかった」へ至る作業の必要性を感じない状態である。

〇文章や文をわかるとは、そもそもどういうことなのか?

 ⇒部分間の関連がついている状態

【要約読み】

〇一読した時には、気にもならなかった表現が、表を埋める作業をしていくうちに、初めて考慮の中に入ってくるということはなかったでしょうか。=読みが深まった

〇よりよく読めてきたとか、よりよく分かったという気がするのは、文章の部分間の緊密性が高まることによってなされているのです。

〇部分間の関連がつくかつかないかが、「わかる」か「わからない」かの分かれ目になるのだ

〇「わかった」状態は、ひとつの安定状態です。「わからない部分が見つからない」という状態だといってもいい

【第1章のまとめ】

わかったつもりになると、わかろうとする必要性がないと感じるため読みが深まらない。

◆第2章 「読み」における文脈のはたらき

【質問読み】

〇何の話か分かると、なぜわかるようになるのか?

 ⇒部分間に関連をつけることでわかるようになる。私たちの中に既に存在しているひとまとまりの知識(=スキーマ)のうち、どれを使えばよいかがわかるので、それを使って文章を処理していける。

【要約読み】

〇「文脈」が「スキーマ」を「活性化」させて、そのスキーマが文章の処理に使われ、文章がわかるようになる

〇文脈が異なれば、異なるスキーマが発動される。

〇文脈がわからないと「わからない」

〇文脈がスキーマを発動し、文脈からの情報と共同してはたらく

〇文脈がそれぞれの部分の記述から意味を引き出す

〇文脈が異なれば、異なる意味が引き出される

〇文脈に引き出されたそれぞれの意味の間で関連ができることで文がわかる

【第2章のまとめ】

文脈が私たちがすでに持っている知識を活性化させることによって文章がわかるようになる。

◆第3章 これが「わかったつもり」だ

【要約的な文章】

〇「全体の雰囲気」が「部分の記述」から「全体の雰囲気」に都合の良い「意味を引き出し」てしまう

 ⇒「文脈」の大きな力

【質問】

問1:文章上で国語的に何かわからないことはあったか

とくにない

問2:内容的にわからないことがあったか

とくにない

問3:この文章の要約を書け

 正倉院にはシルクロードを通って中国に伝わり、その後日本に伝えられた文化財が収蔵されており、「世界の宝庫」と呼ばれる。遣唐使らは唐の皇帝に日本からの贈り物をささげ、そのお礼としてイラン風の工芸品を受け取り、日本に持ち帰った。日本に伝わったのはモノだけではなく、仏教も伝わった。古代世界のさまざまな国の文化は、シルクロードを通り、長い歴史を経て日本に伝わった。

◆第4章 さまざまな「わかったつもり」

◆第5章 「わかったつもり」の壊し方

【要約】

〇部分の読みが不充分だったり間違ったりしているので、間違った「わかったつもり」が成立する。

〇文章の構成そのものから、読み手がミスリードされやすい「わかったつもり」が存在する

 ⇒文脈に合わせて部分を読み間違えたり、読み飛ばした部分をその文脈に合わせる形で想起したりする

〇「いろいろあるのだな」と認識した時点で、実は人はそれ以上の追求をやめてしまうのです。

〇読み手が自分の持っている「ステレオタイプのスキーマ」を文章に簡単・粗雑に当てはめてしまうことによって、間違った「わかったつもり」や不充分な「わかったつもり」を作りだしてしまうことがある

〇文章にそれらしい記述があると、そこにいかにも当てはまりそうな、時代にマッチし、通りのよさそうなスキーマが誘発され、読み手がそれらのスキーマを使って、部分を読み飛ばし、都合の良い意味を引き出して「わかったつもり」を構成してしまう

〇面倒になって適当に処理している自分

〇「読み」という探求の過程に終わりはない

〇私たちには、私たちが気に留め、それを使って積極的に問うたことしか見えない

〇解釈が妥当であるかどうかを「正しさ」に求めるのではなくて、周辺の記述や他の部分の記述との「整合性」だけに求めたい、というのが私の考えです

〇「次のような解釈があるとする。このうち可能なものはどれか。可能でないものはどれか。」

【質問】

〇「わかったつもり」の状態から抜け出すためにどのような手立てを施せばよいのか?

 ⇒まず、自分は「わかっている」と思っているけれど、「わかったつもり」の状態にあるのだ、と明確に認識しておくことが必要

 ⇒意識的に自分なりの「まとめ」をしてみる

  ⇒「まとめ」があまりに簡単なものであった場合には、「ステレオタイプのスキーマによる魔物」か「文層構成から誘われやすい魔物」に搦め取られている

【全体要約】

 「わかったつもり」とは部分の読みが不充分だったり間違ったりしている状態のことで、読み手が、文章全体の雰囲気や部分の記述から都合の良い意味を引き出してしまうために生じる。
 その状態から抜け出すには、まず「わかったつもり」にある状態を明確に認識し、その上で「読み」を深める「整合性」の伴った「想像・仮定」を行うとよい。

【帯コメント】

「わかったつもり」になってませんか? -読解力がつかない本当の理由が「わかり」ます。


【自分の読書の仕方についての感想】

 パラレル読みを行うことで通常よりも時間をかけて読むこととなった。読み始めは興味を持って読み進められていたが、数日たつことで熱が冷めてしまい、本をとる手が重くなってしまった。1章ごとにまとめていたために多少は内容をわかりつつ読み進められたと思うが、やはり時間が空いたことによって細かい部分でよくわかっていない箇所が目立った。しかしその状態を認識していても、さかのぼって理解を深めたうえで先に進む、という手間をかけることはできなかった。「早く読み終えて、次にいきたい」という感情が出てきてからは、その本から何かを得ようとする姿勢も半減した感覚。

 いきなり高度な読書能力が身につくわけもないので、根気よく、考えることをあきらめず、読書の習慣をつけていきたい。パラレル読みは確かに俯瞰した視点を持てる点、同分野における共通事項や相違点などがタイムリーにわかりやすいという利点はあったが、まだ読書の習慣自体が危うい自分にとっては少し重かった。(そこに負荷をかけないと成長しないのかもしれないが。)

 今後はいったんパラレル読みはお休みして、1冊ずつ要約・質問を重ねながら読み進めていこうと思う。

 あと、「東大読書」を実践すると意気込んでいたものの、仮説読みは忘れるし、何なら質問もあまり出てこない始末であった。


 まずは下手でもいいから本を読み続けること。得たい情報があるなと思える、今一番読みたいと思える本からどんどん読んでいこう。

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